自分に自信がありすぎる人は、 なかなか主張を曲げません。 素直に忠告を聞く人は賢くなります。
人々は、王が自分たちの意見を聞き入れないのを知ると、大声で言いました。「もう、ダビデ王家に用はない。さあ、国へ帰ろう。レハブアムは自分の部族だけの王になればよいのだ。」イスラエルの民は、レハブアムを王と認めたユダ族を除いて、全員が彼を見限りました。
あなたは、エドムを撃破したことで鼻を高くしておられるようだ。悪いことは言わないから、得意になるのはそれくらいにして、家に引っ込んでいなさい。わざわざ事をかまえて、自分とユダとに災いをもたらすこともないだろう。」
賭け事で得た財は羽が生えて飛んでいき、 こつこつためた財は確実に増えていきます。
正しい人は明るく生き生きした毎日を送り、 悪者は陰気な日陰の道を歩きます。
いったん火のついた争いごとは、 なかなか収まりません。 だから、初めから争いはしないことです。
忠告はできるだけ聞いて、賢く生きなさい。
計画を立てるときは人の意見をよく聞き、 戦いを始めるのはみなが賛成してからにしなさい。
人をばかにする者は傲慢で、 自分が一番だと思い上がっています。
かっとなって、 よく考えもせずに人を訴えてはいけません。 引っ込みがつかなくなり、 おまけに裁判にも負けたらどうするのでしょうか。 そんな恥をかかないためにも、 まず二人だけでよく話し合いなさい。 第三者に告げ口して、 陰口をたたいたといって責められないためです。 口に出してしまったことばを 取り消すことはできません。
欲張りはけんかばかりしますが、 主に頼る人は幸せになります。
また彼らの間で、やがて実現する御国でだれが一番偉いかということで議論が起こりました。
違った教えを広める人がいれば、それは高慢のなせるわざであり、自分の無知をさらけ出す行為だとみなしなさい。つまり、キリストのことばをいい加減に解釈し、ねたみや怒りにかられて議論を果てしなく続け、その結果、非難や争い、不信のとりこになるのです。
あなたがたの争いは、いったい何が原因ですか。あなたがたの心にうず巻く悪い欲望から出たものではありませんか。
それを見た民はみな、ベニヤミン人の野蛮な行為に怒りをかきたてられました。「エジプトを出て以来、こんなひどい出来事があっただろうか。この事件を見過ごすわけにはいかない。」