ほんとうのことを言う人も、 こつこつ働く人も必ず報われます。
大切なのはむしろ、神が罪人を罰するということだ。
こうして、ついには身も心も満ち足りるのです。 私は喜びにあふれて賛美します。
あなたがたは、その報いを受けなければならない。 自分で選んだ道なのだから、十分苦しみ、 恐ろしい思いをするがいい。
正しい人は注意深く語って訴訟に勝ちますが、 邪悪な者は争いを欲するだけです。
信仰をなくした人は自分に嫌気がさしますが、 神を恐れる人の生活には活気があります。
良い助言は喜びをもたらし、 時宜にかなったことばは、 いかにすばらしいものか。
貧しい人に手を差し伸べるのは、 主に貸すのと同じです。 あとで主が報いてくれます。
悪者は、自分自身の罪で 自分の足をすくっているのです。 罪はその人を捕らえ、 逃れることができないようにする縄です。
ただわたしだけが人の心を知っていて、 隅々まで探り、 一番奥に隠された動機までわかる。 そして、一人一人に それぞれの生き方に応じた報いを与える。
自ら手を下し、罪を犯した罰として おまえたちを滅ぼす。 わたしが森に火を放つので、 周りのものは何もかも灰になる。」
だから『祭司も民も変わらない』と言われる。 祭司が悪いから、民も悪くなるのだ。 だから、祭司も民も、その邪悪な行いに応じて罰する。
メシヤのわたしは、やがて、父の栄光を帯びて、天使たちと共にやって来ます。そして、一人一人を、その行いによってさばくのです。
彼はエジプト全土の宝をわがものにすることよりも、やがて来ると約束されていたキリスト(ギリシャ語で、救い主)のために苦しむほうが、はるかにすぐれていると考えました。その目は、神からの大きな報いに注がれていたのです。
天使のことばでさえいつも真理と認められ、そのことばに従わない人は罰せられました。