神様の律法に従っているならば、私たちはすべてがうまくいくのだよ。』
それができれば、いつも良心はすみきって、 恥じることもないでしょう。
こうすれば、すべての世代の人々が神のおきてを守り、 神に希望を見いだし、 その栄光に輝く奇跡を忘れることはありません。
神を信じる人はいのちの道を歩いているので、 死を恐れることがありません。
わたしのおきてを守るなら、わたしのことばどおり、その人はまさに正しい人だ。その人は必ず生きる。
そして、その荒野で、彼らにおきてを与えた。そのおきてを守ることによって、彼らが生きるためだった。わたしのおきてを守るなら、だれでも生きる。
というのも、彼らには、キリストが自分たちを神の前に正しい者とするために死んでくださったことが、わかっていないからです。そして、自分たちの正しさを認めさせようとして、神の救いの道に従わなかったのです。
この信仰による道は、律法の行いによる道とはなんと違うことでしょう。律法による道は、律法を一つ残らず完全に守ることによって救われる、と教えているのですから。
律法全体を注意深く守っていても、一点ででもつまずけば、その人はすべてを破った者となるのです。