アモン人はウジヤ王に、貢ぎ物を納めるようになりました。彼の勢力は強大になったので、その名声は遠くエジプトにまで伝わりました。
そうすれば、あなたを偉大な国民の父にしよう。あなたを祝福し、その名を広めて、だれ一人知らぬ者がないようにしよう。あなたによって、ほかの多くの者も祝福されます。
妹の子はベン・アミという名で、アモン人の先祖です。
ダビデの名声はいよいよ高まりました。ダビデは帰還すると、塩の谷でエドム人一万八千を打ち滅ぼし、
また、モアブの地を襲った時には、捕虜を列に並ばせたうえ、地面に伏させ、各列の三分の二の者を殺し、残り三分の一を助けました。助かったモアブ人はダビデのしもべとなり、毎年、貢ぎ物を納める者になりました。
王は、昔から知られるどんな知者よりも知恵があったので、その名声は周囲のすべての国々に広がりました。
こうして主は、ダビデへの恐れを諸国の民に植えつけたので、ダビデの名声はあまねく広まりました。
ペリシテ人さえも贈り物と貢ぎ物を納め、アラビヤ人は雄羊七千七百頭、雄やぎ七千七百頭を献上しました。
そののち、モアブ人とアモン人、それにメウニム人の王の率いる連合軍が、ヨシャパテとユダの民に宣戦布告しました。
ウジヤは、エルサレムの隅の門、谷の門、それに城壁の曲がり角にやぐらを建てて補強しました。
アモン人と戦って勝った彼は、それからの三年間、彼らに百タラントの銀、小麦一万コル(二百三十万リットル)、大麦一万コルを貢ぎ物として納めさせました。
このイエスの奇跡の評判は、ガリラヤの外にまで広がったので、シリヤのような遠方からも、人々は病人を連れてやって来ました。悪霊につかれた人、てんかんの人、中風(脳の出血などによる半身不随、手足のまひ等の症状)の人など、その病気や苦しみがどのようなものであろうと、一人残らず治るのです。
アモン人の国へ入りなさい。ただし、そこはロトの子孫のもので、そこをあなたがたに与えるつもりはないから、戦いをしかけてはいけない。』
さて、アモン人ナハシュが軍を率いて、イスラエル人の町ヤベシュ・ギルアデに迫りました。ヤベシュの人々は講和を求め、「どうか、お助けください。あなたがたにお仕えしますから」とすがりました。