このことがあってから、アブラハムはそこをアドナイ・イルエ〔「神は用意してくださる」の意〕と呼びました。現在でも、そう呼ばれています。
こう言われてふと見ると、雄羊が一頭、木の枝に角を引っかけて、もがいているではありませんか。「これこそ神様が用意してくださったいけにえだ。」そう思ったアブラハムは羊を捕まえ、息子の代わりに、完全に焼き尽くすいけにえとしてささげました。
このあと、主の使いがもう一度アブラハムに、天から呼びかけました。
「わが子イサク、大丈夫だ。神様がちゃんと用意してくださるよ。」二人はどんどん先へ進みました。
そして、そこをベテル〔「神の家」の意〕と名づけました。そのあたりは以前、ルズと呼ばれていました。
ヤコブはそこをペヌエル〔「神の顔」の意〕と名づけました。彼が、「神様と直接お会いしたのに、死なずにすんだ」と言ったからです。
その時、主のことばがありました。「シドンの町に近いツァレファテ村へ行き、そこに住みなさい。その村には、あなたを養ってくれる未亡人がいる。彼女にはわたしが指示を与えておいた。」
モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシ〔「主は私の旗」の意〕と呼びました。モーセは言いました。「主の旗を掲げなさい。こののち何代にもわたって、主がアマレク人と戦ってくださる。」
町の周囲は一万八千キュビトあり、町の名は『神の都』と呼ばれる。」
シオンの娘よ、激しい苦痛に、身もだえしてうめけ。 あなたはこの町を出て、野宿しなければならない。 遠くバビロンへ追放されるのだ。 だが、そこでわたしはあなたを救い出し、 敵の手から解放しよう。
キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目のあたりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。
神はイスラエルをさばき、 彼らの失敗を優しくかばわれる。 奴隷も自由人も力が衰えていくのを見て、
敬虔を保つことは、決してなまやさしいものではありませんが、その秘訣はキリストのうちにあるのです。 「キリストは人として地上に来られ、 その霊は汚れなく、 きよらかであることが証明され、 天使たちに仕えられ、 諸国民の間に宣べ伝えられ、 至る所で信じられ、 再び栄光のうちに天に引き上げられたのです。」
ギデオンはそこに祭壇を築き、「主との平和の祭壇」と名づけました。この祭壇は、今もアビエゼル人の地オフラにあります。
明日の朝、早く起きて、夜明けとともに出立してくれ。」
この時サムエルは、一つの石をミツパとシェンの間に置き、「ここまで主が私たちをお助けくださった」と言って、エベン・エゼル(「助けの石」の意)と名づけました。