「許されるなら、もう少し続けさせてください。もし二十人だけでしたら?」 「よろしい。その二十人のために滅ぼさない。」
「ありがとうございます。こう申し上げる私自身が、ちりや灰にすぎない者だということは、よく承知しております。ですが、もう少しお尋ねしてよろしいでしょうか。
「どうぞお怒りにならないでください。あえてお聞きするのですが、三十人ではいかがですか。」 「やはり滅ぼすまい。」
「神様、お怒りにならないでください。もうひと言だけ、これが最後です。もしも、たった十人だったら、いかがでしょう。」 「もうよい。その十人のために町を滅ぼすことはしない。」
罪深いあなたがたであっても、自分の子どもには良いものを与えたいと思うのです。それならなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良いものを下さらないはずがあるでしょうか。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。
しかし、友達だからというのでは何もしてくれなくても、しつこく戸をたたき続けるなら、その根気に負けて、必要な物を出してくれるでしょう。
ある日、イエスは弟子たちに、いつでも祈り、また答えられるまで祈り続けることを教えようと、一つのたとえを話されました。
どんな時にも祈りなさい。どんなことでも、聖霊の考えにそって神にひたすら願い求めなさい。各地に散っているすべてのクリスチャンのために、熱心に祈り続けなさい。
ですから躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵みをいただこうではありませんか。