バシャの子エラは、ユダの王アサの即位後二十六年目に、ティルツァで王位につきました。しかし、その在位期間はわずか二年でした。
ユダの王アサとイスラエルの王バシャとの間には、絶えず戦争がありました。
ジムリの天下は、たった一週間続いただけでした。そのころ、ペリシテ人の町ギベトンを攻撃していたイスラエル軍は、ジムリがエラ王を暗殺したと聞くと、将軍オムリを新しい王とすることに決めました。
そのころイスラエル王国(北王国)は二派に分裂していて、国民の半分はオムリ将軍に忠誠を誓い、残り半分はギナテの子ティブニに従っていました。
オムリは、ユダの王アサの第三十一年にイスラエルの王となり、十二年の間、治めました。そのうちの六年間はティルツァで統治しました。
王の戦車隊の半分を指揮する将軍ジムリが謀反を企てたのです。事の次第はこうです。ある日エラ王が、首都ティルツァにある宮内長官アルツァの家でほろ酔いきげんになっていたところ、
シャルムが王となって一か月後、ガディの子メナヘムが、ティルツァからサマリヤに上って王を殺害し、王位を奪いました。
イスラエルの新しい王ペカフヤは、ユダの王アザルヤの第五十年に即位し、サマリヤで二年間治めました。
ユダの新しい王アモンは二十二歳で即位し、エルサレムで二年間治めました。母はヨテバ出身のハルツの娘メシュレメテで、彼は主の目に悪を行いました。
国民が平気で悪いことをするようになると、 政府は簡単に倒れますが、 良識と分別のある指導者がいれば、 国は安全です。