しばらくして、ユダヤ人の指導者たちは、パウロ殺害を決議しました。
しかし、ユダヤ人の指導者たちも、おとなしく引き下がってはいません。熱心な婦人たちや町の有力者たちをそそのかし、パウロとバルナバを迫害したあげく、とうとう町から追い出してしまいました。
しかし、その数日後、また別の事件が起こりました。アンテオケとイコニオムから数人のユダヤ人が来て、町の人たちを味方に引き入れ、パウロを襲って石を投げつけたのです。ぐったりとしたパウロを見て、てっきり死んだものと思った彼らは、パウロを町の外へ引きずり出しました。
しかし、神のことばを軽んじるユダヤ人たちは、根も葉もないことで二人を中傷し、人々の不信をかき立てました。
代表のユダとシラスは、主イエス・キリストのために、いのちを危険にさらしてきた人たちです。この人たちが、今回の問題についての決定を口頭でお伝えするはずです。
そこに三か月の間とどまったあと、船でシリヤへ向かおうと準備を進めていたところ、ユダヤ人たちがパウロの命をねらっているという情報が入ったのです。急いで予定を変え、北のマケドニヤを通って帰ることにしました。
翌朝、四十名以上のユダヤ人が集まり、パウロを殺すまでは飲み食いをしないと誓い合いました。
彼には、わたしのために、どんなに苦しむことになるかを告げるつもりです。」
しかしパウロは、ますます熱心に、イエスこそほんとうのキリスト(救い主)であることを証明したので、ダマスコのユダヤ人たちは動転するばかりでした。
幾度も長い苦しい旅をし、川がはんらんしたり、強盗に襲われたり、同国人からも外国人からも迫害されたりして、何度も危険な目に会いました。町々では暴徒に取り囲まれ、荒野や嵐の海でやっと命びろいしたこともあります。クリスチャンだと自称しながら、実はそうでない人たちに苦しめられたこともあります。