モーセは、イスラエル人を助けるために神が自分を遣わされていることを、みなが認めてくれるものと思い込んでいましたが、現実はそうではありませんでした。
シリヤ(アラム)の王は、軍の最高司令官であるナアマン将軍を非常に重んじていました。ナアマンが軍隊を率いて、何度も輝かしい勝利を収めたからです。彼は押しも押されもしない偉大な英雄でしたが、なんと、ツァラアト(皮膚が冒され、汚れているとされた当時の疾患)にかかっていたのです。
私たちの先祖はエジプトで、 あれほどの奇跡を目撃しながら、感動することもなく、 たちまち数々の恵みを忘れてしまいました。 それどころか、紅海のほとりで、 神に逆らったのです。
急いであたりを見回し、だれも見ていないのを確かめると、そのエジプト人を殺して砂の中に隠しました。
しかし、弟子たちには何のことかわかりませんでした。かといって、イエスに直接その意味を尋ねるのもこわかったのです。
ところが弟子たちには、イエスの言われることが全く理解できず、「先生はきっと、なぞをかけておられるのだろう」としか考えられませんでした。
ところが弟子たちには、何のことを言っているのかさっぱりわかりませんでした。このことばの真意が隠されていたからです。それに、聞き返すのもこわかったのです。
二人はさっそく信者たちを集めて伝道旅行の報告をし、神が外国人にも信仰の門を開いてくださったことを話しました。
エルサレムに着くと、教会と指導者たち――使徒全員と長老たち――に迎えられました。そこで、パウロとバルナバは、今回の伝道旅行で神がどんなことをしてくださったかを報告しました。
激しい論争が続いたあと、ペテロが立ち上がり、意見を述べました。「皆さん、お忘れですか。ずっと以前、外国人も福音のことばを聞いて信じるために、神様が私をお選びになったことを。
ひと通りあいさつがすむと、パウロは、この伝道旅行で、神がどれだけ多くのことを成し遂げてくださったかを、くわしく報告しました。
ところが、行ってみると、どうでしょう。一人のエジプト人が、イスラエル人を虐待しているではありませんか。モーセはイスラエル人をかばおうとの一心から、相手のエジプト人を殺してしまいました。
翌日、もう一度出かけて行くと、今度はイスラエル人同士で争っているのにぶつかりました。モーセは間に割って入り、『兄弟同士じゃないか。けんかなんかやめなさい』と押しとどめました。
私は、ただ外国人を神に導くために、キリストが私を役立ててくださったということだけを話します。他のことについて、何も言うつもりはありません。私は、ことばと活動、
今の私があるのは、あふれるほどに注がれた神の恵みとあわれみによるのです。この恵みとあわれみは、むだではありませんでした。なぜなら、私はほかのどの使徒たちよりも働いてきたからです。けれども、実際に働いたのは私ではなく、私のうちにある神の恵みです。
私たちは神の協力者にすぎません。あなたがたは私たちの畑ではなく、神の畑です。私たちの建物ではなく、神の建物です。
神と共に働く者としてお願いします。神の恵みをむだに受けないように気をつけてください。
これが私の務めです。キリストが私のうちに力強く働いてくださるからこそ、この務めを果たせるのです。
「われわれはおまえを捕まえてペリシテ人に引き渡そうとやって来たのだ。」 「わかった。ただし、私を殺さないと約束してくれ。」 「もちろんだ。」 こうしてサムソンは、二本の新しい綱で縛り上げられ、引き立てられました。
すると、兵士たちが反発しました。「今日イスラエルを救ったのはヨナタン様です。その方のいのちが奪われるなんて、あってはなりません! 主にかけて誓います。あの方の髪の毛一本も失われてはなりません。今日の目ざましい働きは、神様に用いられている証拠ではありませんか。」 こうして、彼らはヨナタンを救ったのです。
彼が命がけでゴリヤテを倒した時のことを、お忘れになったのですか。その結果、主がイスラエルに大勝利をもたらしてくださったのではありませんか。あの時、父上はほんとうにお喜びになりました。それなのに、なぜ今になって罪もない者を殺害しようとなさるのです。そんなことをする理由など少しも見当たりません。」