次に私は、物事を成功させる原動力がねたみであることを知りました。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。
羊ややぎのおびただしい群れ、ばく大な数の牛、そして大ぜいの召使、全部イサクのものでした。ペリシテ人はおもしろくありません。
しかし、そのままですむわけはありません。ラバンの息子たちが不平を言いだしたのです。「ヤコブの財産は、元はと言えばうちのお父さんのものじゃないか。お父さんが犠牲になって、あいつを金持ちにしたようなものだ。」
怒られるよりも、嫉妬されるほうが怖いものです。
こうして彼は、幾百万もの人の指導者となり、非常に有名になるかもしれません。ところが次の世代の人は、彼を追放してしまいます。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。
しゃべればしゃべるだけ、口にすることばの意味が薄れてきます。だから、全然しゃべらないほうがましなのです。
手の中の一羽の鳥は、やぶの中の二羽より価値があります。あこがれているものを夢見ているだけであればむなしいことで、風を追いかけるようなものです。
ピラトがこう言ったのは、イエスが捕らえられたのは、イエスの人気をねたむユダヤ人指導者たちの陰謀だと気づいたからです。
その一人ヨセフは、ほかの兄弟たちのねたみを買い、エジプトに奴隷として売られました。しかし神様は、ヨセフと共にいて、
「神が私たちのうちに住まわせてくださった聖霊は、ねたむほどの愛をもって、私たちを見守っておられる」と書いてある聖書のことばを、どう理解しているのですか。
カインのようになってはいけません。カインは悪魔の子どもになって、弟を殺しました(創世4章)。弟の正しい生活と比べて、自分の生活があまりにも悪いと自覚していたからです。