人間も動物も、同じ空気を吸い、同じように死んでいきます。人間が獣より優れている点などないのです。なんとむなしいことでしょう。
私どもはみな、いつかは死ななければなりません。人のいのちは地面にこぼれた水のようなもので、二度と集めることはできません。もし王様が、追放中のご子息をお迎えになる道を講じなさるなら、神様の末長い祝福がありましょう。
もし、あなたのそのような配慮がなければ、 彼らは途方にくれ、飢え死にするしかありません。
しかし、どんなに栄華をきわめた人間でも、 死ぬ時は動物とそう変わりません。
全く、取るに足りない存在なのです。 それなのに、そういう人々は死後も、 非常に賢い人物として 引き合いに出されたりもします。
どんなに華やかな生涯を送ろうと、 人は動物と変わりなく死を迎えるのです。
賢い人も愚かな人も死ぬのです。時がたてば、両者とも、すっかり忘れられてしまいます。
宴会に顔を出すより、 葬式に列席するほうがよい。 やがて死ぬわけだから、 生きているうちに死について考えるのは良いことだ。
いつ運の悪さに見舞われるかを知っている人はいません。人はみな、網にかかった魚、罠にかかった鳥のようです。
善人でも悪人でも、信仰がある人もない人も、神をののしる者も神を敬う者も、どんな人も、同じ摂理で動かされています。すべての人に同じ結末が来るとは、なんと不公平でしょう。だからこそ、人は正しく生きようとはせず、常軌を逸した道を選ぶのです。待ちかまえているのは死だけですから、希望などありません。
いいか、もしこの者たちがよくある事故や病気で死んだのなら、うそをついたのは私のほうだ。