私はまた、神が罪深い今の世界をそのままにしておくのは、人間を試すためであり、人間が獣と変わらないことを悟らせるためであることに気づきました。
堕落して罪深く、海綿が水を吸うように罪をのみ込む あなたのような人間は、なおさらだ。
おまえは自分の正しさを主張しようとして、 わたしのさばきを信用せず、 わたしを罪人呼ばわりするのか。
しかし、どんなに栄華をきわめた人間でも、 死ぬ時は動物とそう変わりません。
死が全人類を飼い慣らしています。 異なる世界に目覚めたその朝、 邪悪な者たちは正しい人々の奴隷となるのです。 死んでしまえば、 金の力により頼むことはできなくなります。 金を持って死ぬことはできないのですから。
私はあなたに、ただあなたに罪を犯し、 この恐ろしいことをしてしまいました。 すべてをご存じのあなたが下す判決に、 誤りはありません。
自分がどれほど愚かで無知であったかを 思い知らされたのです。 ああ神よ。私は獣のように見えたことでしょう。
絶対にそんなことはありません。たとえ世界中の人がうそつきでも、神は真実な方です。このことについて詩篇には、「神のことばに誤りはない。だれが疑いを差しはさもうと、いつも真実で正しい」と書いてあります。
同時に神は、ユダヤ人であっても外国人であっても、ご自分の栄光のために呼び出し、あわれみを与えることで、神がどんなに偉大な方かをすべての人に示す権利を持っておられます。
人間には、一度だけ死んで、その後さばきを受けることが定められているように、
生まれながらの古いいのちは、枯れてしまう草のようです。どんな栄誉も、やがてはしぼみ、散っていく花と同じです。
偽教師たちはまるで、捕らえられて殺されるために生まれてきた理性のない動物と同じで、無分別です。彼らが滅ぼされるのは、目に見えています。