預言者イザヤの書が手渡されたので、次の箇所をお開きになりました。
『それは聖書が教えていることではないか。その言うことを聞くべきです。』
ダビデ自身が、聖書の詩篇の中でこう歌っています。 『神が私の主に言われた。 「わたしがあなたの敵を あなたの足の下に置くまで、 わたしの右に座っていなさい。」』(詩篇110・1)
それからイエスは、少年時代を過ごしたナザレに帰り、いつものように土曜日(安息日)に会堂へ行かれました。聖書を朗読しようと席を立つと、
「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。 主は、貧しい人たちに この福音(神の救いの知らせ)を伝えるために、 わたしを任命された。 主はわたしを遣わして、 捕虜には解放を、 盲人には視力の回復をお告げになる。 踏みにじられている人を自由にし、 主の恵みの年をお告げになる。」(イザヤ61・1―2)
イエスは朗読を終えると、聖書を閉じ、係の者に返して、腰をおろされました。みんなの目はいっせいにイエスに注がれました。
いつものとおり、モーセの書と預言者の書からの朗読がすむと、会堂の管理者たちが彼らに言いました。「二人の方。よろしければ、何かお話ししていただけますか。」
エルサレムにいるユダヤ人とその指導者たちは、イエスを処刑することで、皮肉にも、預言を実現させたのです。彼らは安息日ごとに預言者のことばが読まれるのを聞きながら、イエスこそ、その預言されたお方であることを認めようとしませんでした。
このため、神様は彼らに背を向け、彼らが日や月や星を神と思って仕えるのを放っておかれました。神である主は、預言者アモスの書の中で、こう語っておられます。 『イスラエルよ。あなたがたは 四十年の荒野の生活で、 わたしに、いけにえをささげたことがあるか。 いや、あなたがたのほんとうの関心は、 異教徒の偶像にあったのだ。 モロクの神や星の神ロンパ、 そのほか自分たちで造った偶像に。 だから、わたしはあなたがたを、 バビロンのかなたへ捕らわれの身とする。』(アモス5・25-27)