王は非常に喜び、『よくやった! 感心なやつだ。少しばかりのものにも忠実に励んでくれた。ほうびに、十の町を治めさせよう』と言いました。
ヨセフは主人の気に入り、家の管理と業務のすべてを任されるようになったのです。
果樹園の番人がそこの果物を頂けるように、 主人のために働く者が報酬を受けるのは当然です。
主人は彼の働きをほめました。『よくやった。おまえはわずかなお金を忠実に使ったから、今度はもっとたくさんの仕事を任せよう。私といっしょに喜んでくれ。』
小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実です。小さなことに不忠実な人は、大きな責任を与えられても、忠実に果たすことはできません。
最初の家来は、元金の十倍というすばらしい利益をあげたことを報告しました。
次の家来が進み出て、元金の五倍の利益をあげたことを報告しました。
御国でわたしの食卓に着き、共に食事をする特権、また王座に座って、イスラエルの十二の部族をさばく特権です。
真のユダヤ人とは、心が神と正しい関係にある人のことです。神は、体の割礼を受けた人ではなく、心と思いが全く変えられた人を捜し求めておられるからです。そのような人こそ、人にはほめられなくても、神にほめていただけるのです。
ですから、主がまだここにお帰りにならないうちから、何についても性急に結論を下すことがないように注意しなさい。主が来られる時、すべては明るみに出されます。一人一人の心の奥底までが見通され、ありのままの姿がはっきり見えるようになります。その時、一人一人が、ふさわしい賞賛を神から受けるのです。
私は喜んで、どんな苦しみも耐え忍びます。それは、神に選ばれた人に、キリスト・イエスの救いと永遠の栄光とをもたらすためです。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。それによって、信仰がどれほど強く純粋であるかを量られます。それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。しかも神にとっては、あなたがたの信仰は、金よりはるかに尊いものです。ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強くされるなら、あなたがたは、イエス・キリストが再び来られる日に、多くの賞賛と栄光と名誉とを受けることになるでしょう。
そうすれば、偉大な羊飼いであるキリストがおいでになる時、朽ちない栄光の冠を受けるのです。
それゆえ、イスラエルの神であるわたしは、こう宣言する。レビ族の一門であるあなたの家系が常に祭司となると約束したのは確かだが、今や、それがいつまでも続くと考えたら、大きな間違いである。わたしは、わたしを重んじる者を重んじる。わたしを侮る者は、わたしも軽んじる。