たとえ、水晶のような水で体を洗い、 灰汁で手の汚れをすっかり落としても、
私は、神の道を踏みはずしたことも、 目に入るものへの欲望に取りつかれたこともない。 そのほかの罪についても、全く身に覚えがない。 もし少しでもやましいところがあったら、 私が種をまいて育てた作物をほかの者が刈り取り、 私の植えた木がみな根こそぎにされてもいい。
神は私をどぶに突き落とします。 そのため泥まみれになった着物でさえ、 神の目には、私よりきれいに見えるでしょう。
私は手を洗って身の潔白を証明し、 それから祭壇に行き、
どうか、いつまでもこの罪を見続けず、 御目から消し去ってください。
自分の誤りを認めない者は成功しませんが、 素直に認め、直そうとする人には、 別のチャンスが転がり込みます。
石けんと灰汁をどんなにたくさん使っても、 おまえはきれいにならない。 どうしても洗い流せない罪の汚れが、 こびりついている。 それがいつも、わたしの目の前に見え隠れしている。」 こう神は言います。
エルサレムよ、 手遅れにならないうちに心をきよめなさい。 今ならまだ、悪い思いを捨てれば、救われます。
というのも、彼らには、キリストが自分たちを神の前に正しい者とするために死んでくださったことが、わかっていないからです。そして、自分たちの正しさを認めさせようとして、神の救いの道に従わなかったのです。
もし自分には罪がないと言うなら、それは、自分のほんとうの姿から目をそらしているのであって、真理を受け入れようとしない証拠です。