望みもないまま、またたく間に一日一日が過ぎ去る。
そのため神に殺されるなら、それでもいい。 たとえ殺されても、私はやめない。
私はもうすぐ、帰ることのない旅路につくのだから。
私の病は重く、死の一歩手前です。 墓は口を開いて私を迎えます。
私の古き良き時代は終わった。 希望は失せ、夢は破れた。
そうなったら、私の望みはどうなるのだ。 だれが、望みを見つけてくれるのか。
それは、私とともに墓に下る。 ちりの中で共に憩うようになるのだ。」
私はとことんまで打ちのめされ、虫の息となった。 もうおしまいだ。
なぜ、まだ生きる力が残っているのだろう。 息を引き取る瞬間まで、このまま我慢できようか。
私の一生は悲劇をはらんだまま、 矢のように飛び去る。
私の一生は、夕方の影のように素早く過ぎ去り、 草のようにしおれます。
人の一生は、ただのひと呼吸のよう、 また影のようで、はかなく消えるではありませんか。
神を信じる人には、 死ぬ時にも心の拠り所がありますが、 悪者は罪に押しつぶされます。
ほかの神々を追い回すのは、 いいかげんにやめたらどうだ。 けれどもおまえは言う。 『言ってもむだですよ。 私はこの他国人に恋をしてしまいました。 あとについて行きたいのです。』
そのころのあなたがたは、キリストとは全くの無縁で、神の民に敵対し、神から何の助けも約束されていませんでした。神もなく、望みもない、滅びる以外にない存在でした。
明日どんなことがわが身に起こるか、だれにもわからないのです。あなたがたのいのちは、朝霧のようにはかないものです。
そういうわけですから、あなたがたはこれまで以上の恵みを期待して、イエス・キリストが再び来られる時を、真剣に、身を慎んで、ひたすら待ち望みなさい。
生まれながらの古いいのちは、枯れてしまう草のようです。どんな栄誉も、やがてはしぼみ、散っていく花と同じです。