私は、困っている人のために涙を流した。 貧しい人を見て、心から同情した。
生活に困っている者は押しのけられ、 すごすごと引き下がる。
私は曲がったことの嫌いな裁判官として、 生活苦にあえぐ貧しい人や、 身寄りのない子どもたちを助けてきた。
貧しい者には父親のようになり、 一面識もない者でも、 公平な裁判が受けられるように面倒をみた。
召使を飢えさせたこともない。
主よ、助けてください。 神を敬う者がみるみる減っていきます。 世界中を探しても、信頼できる人などいません。
貧しい人を軽蔑してはいけません。 貧しい人に親切にすれば、自分も幸せになります。
貧しい人をいじめるのは、 その人たちを造った神をさげすむこと、 貧しい人を助けるのは神をほめたたえることです。
貧しい人をさげすむのは、 その人を造った神をさげすむのと同じです。 神は人の不幸を喜ぶ者を罰します。
貧しい人に手を差し伸べるのは、 主に貸すのと同じです。 あとで主が報いてくれます。
貧しい人からしぼり取った金は、 巡り巡って、彼らに親切にする人のものになります。
それでもなお、耳をふさぐのですか。 もしそうなら、私は心を痛め、 思い上がったあなたがたのために、 一人で嘆き悲しみましょう。 主の民が奴隷になって連れ去られるのです。 とても泣かずにはいられません。
彼らは、悪をもって善に報いようとするのですか。 彼らは私を殺そうと、罠をしかけました。 それでも私は神に、彼らのことを良く伝え、 何とかして、神の怒りが彼らに向かないように 努力しました。
ネブカデネザル王よ、お願いです。どうぞ、罪を犯されませんように。正しいことを行い、貧しい者をあわれんでください。そうすれば、あるいは神の赦しがあるかもしれません。」
さらにエルサレムに近づいた時、イエスは都をごらんになり、都のために涙をこぼされました。
イエスの目に涙があふれました。
だれかが幸せで喜んでいる時には、いっしょに喜んであげなさい。悲しんでいる人がいたら、いっしょに悲しんであげなさい。
聖書にこう書いてあるとおりです。 「神を敬う人は、貧しい人々に惜しみなく与える。 その良い行いは、永遠に名誉となる。」(詩篇112・9)