その一方では、金持ちどもが、 弱っている者をあざけり、 困っている者を目ざとく見つけてはさげすむ。
私は神に助けを願い、 じきじきに答えていただいたこともあるのに、 今は人の笑い草になっている。 品行方正な私が、物笑いの種となっているのだ。
盗人は栄えるものだ。 さあ、神を怒らせてみたらどうだ。 別に何が起こるというわけでもあるまい。 それでも神は、必要なものは全部下さるだろう。
とはいっても、立場が逆だったら、 私も同じようなお説教をしていたかもしれない。 あきれ果てて、痛烈な批判を浴びせかけていただろう。
物事がうまくいかないとしたら、 それはあなたが罪深かったからだ。 炎が消えて当然だ。
野ろばが鳴くのは、草がないからだ。 飼い葉のあるうちは、牛もおとなしくしているものだ。 食べ物に塩気がなければ、人は苦情を言う。 生卵の白身ほどまずいものはない。 見るだけで食欲がなくなり、 食べるところを想像するだけで吐き気がする。
私の足は、神の道から 一歩もすべり落ちることがありませんでした。
「神よ、私はよろめいています」と 叫んだ時、主は救い上げてくださいました。
正しい人は明るく生き生きした毎日を送り、 悪者は陰気な日陰の道を歩きます。
親をのろう者は死ななければなりません。
何も見えない暗闇を送り込まれる前に、 手遅れにならないうちに、神に栄光をお返ししなさい。 闇が覆えば、あなたがたは山につまずき、 倒れます。 その時に、光を探し求めても、 身の毛もよだつ暗闇があるだけです。
ひとり満足した金持ちは、われとわが身に言い聞かせたのです。『もう何も心配はいらないぞ。これから先何年分もの食料がたっぷりある。さあ、食べて、飲んで、楽しくやろう。』
復讐はわたしの務め、 イスラエルの敵には罰を下す。 判決はすでに下った。」