また、父ご自身は直接あなたがたに姿を現したり、語りかけたりはなさいませんが、わたしのことを証言しておられます。
人々はモーセに言いました。「神様がどんなことをおっしゃったか教えてください。私たちは言われたとおり従います。ただ、神様が直接私たちにお話しにならないようにしてください。そうしないと、私たちは死んでしまいますから。」
あなたがどんなに親切にしても、 悪者は善人になりません。 彼らは悪事を働くだけで、 あなたの偉大さやすばらしさを心に留めないのです。
ところが、そう言っているうちにも、光り輝く雲が現れて、三人をすっぽり包んでしまいました。そして雲の中から、「これこそ、わたしの愛する子。わたしはこれを心から喜んでいる。彼の言うことを聞きなさい」という声がしました。
その時、天から声が聞こえました。「これこそ、わたしの愛する子。わたしは彼を心から喜んでいる。」
そして天から、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という声が聞こえました。
それからイエスは、創世記から始めて、聖書(旧約)全体にわたって次々と預言者のことばを引用しては、救い主についての教えを説き明かされました。
聖霊が鳩のようにイエスに下りました。そして天から、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という声が聞こえました。
いまだかつて、実際に神を見た人はいません。しかし、神のひとり子だけは別です。御子は父なる神といつもいっしょですから、神について知っていることを教えてくださいました。
「ピリポ。こんなに長くいっしょにいるのに、わたしがどういう者かまだわからないのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。それなのにどうして父を見せてくださいなどと言うのですか。
わたしがあれほどのわざを行わなかったのなら、彼らは罪に定められることもなかったでしょう。けれども、わたしのわざをはっきり見たにもかかわらず、わたしとわたしの父を憎んだのです。
しかし、わたしのことを証言してくださる方がほかにおられます。その方の証言はまちがいなく真実です。
食べ物のようになくなってしまうものに心を奪われてはいけません。それよりも、永遠のいのちを手に入れる努力をしなさい。それこそ、メシヤ(救い主)のわたしが与えるものです。そのために、父なる神はわたしをお遣わしになったのです。」
だとしたら、わたしとわたしをお遣わしになった父とで、りっぱに二人の証人がそろいます。」
その時、炎の中から主の声が聞こえたのです。お姿は全く見えません。
どうか、永遠の王であり、決して死ぬことのない、目には見えない、ただひとりの神に、栄光と誉れがいつまでもありますように。アーメン。
死ぬことのない、ただひとりの方であり、だれも近づくことのできない、まばゆい光の中に住んでおられます。人はだれも神を見たことはありませんし、これからも決して見ることはできません。どうか、このまことの神に、誉れと永遠の権威と支配とが、いつまでもありますように。アーメン。
私たちは、だれも神を見たことがありません。しかし、互いに愛し合う時、神は私たちの心の中に住んでくださり、心の中にある神の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。
もし、「私は神を愛しています」と言いながら、兄弟であるクリスチャンを憎み続ける人がいれば、その人はうそつきです。目の前の兄弟を愛せない人が、どうして、見たこともない神を愛せるでしょう。
私たちが法廷で証人のことばを信じるのなら、神の証言はなおさら信じられるはずです。神ご自身がはっきりと、イエスは神の子であるとあかししておられるのですから。