エブロン、レホブ、ハモン、カナを経て大シドンに至るのです。
それからタフティム・ホデシの地とギルアデを巡り、さらにダン・ヤアンに進んで、シドンの方に回りました。
その後ツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人の町をすべて行き巡り、ユダの南に広がるネゲブをベエル・シェバまで下りました。
どこも死の静寂が覆っています。 海の向こうから、 また、エジプトとナイル川沿いの地から 品々を運んで来たシドンの船でいっぱいになり、 にぎわっていたかつての貿易中心地は、 今ではひっそり静まり返っています。
海の要塞であるシドンよ、 今はもう子(ツロ。シドンの植民地)がいないのだから 恥じなさい。
「人の子よ、シドンの町にこう預言せよ。」
それから三日目に、ガリラヤのカナという村で結婚式があり、イエスの母マリヤが客として出席していました。
このガリラヤのカナでの奇跡は、イエスが神の力を公に示された最初のものでした。これを見て弟子たちは、イエスを正真正銘のメシヤと信じたのです。
ガリラヤ旅行の途中、イエスはカナの村に行かれました。以前、水をぶどう酒に変えた所です。さて、カペナウムの町に、重病の息子をかかえた政府の役人がいました。
翌日、船はシドンに入港しました。ユリアスはパウロにとても親切で、上陸して友人を訪問したり、もてなしを受けたりすることを許可してくれました。
主が敵の大軍をことごとくイスラエル軍に渡したので、彼らは大シドンおよび「塩の穴」と呼ばれた場所まで、また、東はミツパの谷まで追い撃ちをかけました。この戦いで生き残った敵軍は一人もいません。
アシェル族は、アコ、シドン、マハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフェク、レホブの住民を追い出しませんでした。それでイスラエル人は、今なお、原住民であるカナン人といっしょに住んでいます。
だれも、住民を助ける者はいません。シドンから遠く離れていたうえ、周囲の町とも同盟を結んでおらず、どことも交渉がなかったからです。町はベテ・レホブに近い谷にあり、ダン族は町を再建し、そこに住みつきました。