父なる神の目から見て、純粋で汚れのない信仰とは、みなしごや未亡人が困っていれば世話をし、この世から自分をきよく守ることです。
主のおきてを完全に守る人は幸いです。
主は外国人の権利を守り、 孤児や未亡人を支えますが、 その一方、悪者の計画をくつがえされます。
きよいお方である神は、 父親のいない子の父となり、 未亡人の訴えを公正に取り扱ってくださいます。
指導者たちは謀反人、どろぼうの仲間で、 だれもかれもわいろを取り、 未亡人やみなしごの肩をもたない。」
心のきよい人は幸いです。そういう人は親しく神とお会いできるからです。
この夫婦は神を愛し、神のおきてを忠実に守り、心から従っていました。
この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。
キリストは、父なる神のご計画どおり、私たちの罪のために死に、この悪の世界から私たちを救い出してくださいました。
したがって、律法によってはだれ一人、神の恵みを受けることはできないわけです。神の前で正しい者と認められる道は信仰による以外にない、と神様は言っておられます。預言者ハバククが、「正しい人は信仰によって生きる」(ハバクク2・4)と語ったとおりです。
キリストから永遠のいのちをいただいた私たちは、割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の儀式を守っているかどうか、心配する必要はありません。私たちに必要なのは、愛によって働く信仰だけです。
しかし私は、主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものなど何もありません。十字架によって、私は、この世のものすべてに対して興味を失ってしまいました。この世も、私に対する興味をすっかり失ってしまったのです。
この世の人と同じ生き方をし、罪にまみれ、主に反抗する人の心に今も働いている、力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。
財産のないレビ人や外国人、町に住む未亡人や身寄りのない子に与えるのです。そうすれば、だれもが食べて満ち足り、主があなたも、あなたの仕事も祝福してくださいます。
私がひたすら願い求めるのは、すべてのクリスチャンが純粋な愛の心を持ち、その思いがきよめられ、信仰が強められることです。
しかし、もしその人に子どもか孫がいる場合は、その責任は彼らにあります。なぜなら、親切はまず自分の家庭から、つまり困っている親の面倒をみることから始まるのです。神はそのことをたいへん喜ばれます。
しかも、この恵みをいただくと同時に、神が私たちに望んでおられることも実現するのです。それは、神を認めない生き方と罪にまみれた快楽とを捨て去って、日々神を敬う正しい生活を送ることであり、
しかし、神からの知恵は純粋であり、平和とおだやかなやさしさに満ち、思いやりと良い実に満ちています。
私たちはこの舌で、天の父なる神をほめたたえ、同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろいます。
あなたがたは、まるでふしだらな妻のようです。この世の快楽に親しむのは、神を敵に回すことです。世の友を求めるなら、神の友にはなれません。
さらに神は、それによって、すばらしい約束を与えてくださいます。この約束のゆえに、私たちは欲望のもたらす滅びから守られ、キリストのご性質を備えた者となれるのです。
主であり救い主であるイエス・キリストを知り、この世の悪い生活からのがれた人が、またもとの罪の生活に舞い戻り、その奴隷となるなら、その状態は以前よりもっと悪くなるでしょう。
愛する皆さん。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、罪を避けて生きることに精一杯励みなさい。また、すべての人と平和に過ごしなさい。
神の家族の一員とされている人は、罪を犯す習慣はありません。神の御子にしっかりと支えられているので、悪魔は手出しできないのです。