もしも、「私はクリスチャンです」と言いながら、平気でとげのあることばを口にする人がいれば、その人は自分を偽っていることになります。そのような信仰には何の価値もありません。
しかも、神に言ってはならないことを 言い放っている。
神が私のいのちを危険にさらしたからだ。 若い者は、私に恥をかかせるだけでは足りず、 今度はしたいほうだいのことを始めた。
主よ、どうか、この口を堅く閉じ、 くちびるに封をさせてください。
くつわをはめなければ言うことを聞かない、 馬やらばのようになってはいけない。
それなら、自分のことばに注意をはらいなさい。 どんなことがあっても、うそをつかないことです。
ことば数が多いと失敗します。 配慮をもって話す人が、 ほんとうに知恵ある人です。
正しい人は、よく考えてから忠告します。 だれも、うそつきの言うことなど聞きません。
だれでも、広く歩きやすい道が正しい道と考えますが、 それは死に通じる道です。
良い教師がいれば学習が楽しくなり、 無力な教師は益にならないことをまくし立てます。
神は、王が正しく裁けるように助けるので、 王は間違ったことを言ってはいけません。
広くて歩きやすい道は正しい道に見えます。 しかし、その終点は死です。
人をだまして金持ちになるより、 貧しくても正直に生きるほうが幸せです。
人にだまされている哀れな者は灰を食べます。何の助けにもならないものを頼りにしているからです。彼はまともな考え方ができません。「この手に握っている偶像は偽の神ではないか」と自分に問うことができないのです。
聞きなさい。あなたがたはこう言った。 『神を礼拝したり、 神に従ったりするのは愚かなことだ。 律法を守っても、罪を悲しんでも、 何の良いことがあるだろう。 これからは、「高ぶる者は幸いだ」と言おう。 悪を働く者が栄え、 神に罰せられるようなことをしても、 罰を免れて平気でいるからだ』と。」
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神のおきての代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13)」
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神の命令の代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13) なんと的を射たことばでしょう。
だから、神のことばをどのように聞いたらよいか、よく注意しなさい。持っている者はさらにたくさん与えられ、持っていない者は、持っているつもりの物までも取り上げられてしまうからです。」
そして、私たちは、大うそつきということになります。なぜなら、もし死者の復活がないのなら、神はキリストを復活させることはなかったはずですが、私たちは、「神がキリストを墓からよみがえらせた」と主張しているからです。
もし初めにいい加減な気持ちで信じたのでなく、今もなお堅く信じているのなら、この福音は、あなたがたを救ってくれるのです。
自分をだますのはやめなさい。だれか、「自分は世の知者だ」と、もし考えているのなら、そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。天からの真の知恵を受ける妨げにならないためです。
エルサレム教会のおもだった指導者たちも、私の宣べ伝えている内容に、何もつけ加えたりしませんでした。
あれほどの経験をしたあなたがたが、福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。とても信じられないことです。
りっぱな人間である自分が、なにもそこまで身を低くする必要はないと思う人は、自分を偽っているのです。
悪意のこもったことばを口にしてはいけません。相手の益となり、助けとなること、また祝福を与えることだけを話しなさい。
みだらな会話や下品な冗談は、あなたがたにふさわしくありません。むしろ、互いに神の恵みを心にとめて、感謝しなさい。
しかし、気持ちがゆるんで神様から離れ、外国の神々を拝んだりしないようにくれぐれも気をつけなさい。
あなたがたの会話が、良識に富み、善意にあふれるよう心がけなさい。そうすれば、一人一人に適切な答え方ができます。
愛する皆さん。人のことばにまず耳を傾け、自分はあとから語り、怒るのは最後にしなさい。
また聞くだけでなく、それを実行することも忘れてはなりません。みことばを聞くだけは聞いて、自分を偽った行動をとることがありませんように。
ああ、あなたは、なんと愚かであわれな人でしょう。みことばを実行しなければ、信じることなどむなしいことを、いつになったら悟るのですか。行いを伴って初めて本物と言えるのです。
幸福な生涯を送りたいなら、舌を抑えて、くちびるからうそが出ないようにしなさい。