すると、これらの正しい人たちは答えるでしょう。『王様。私たちがいったいいつ、あなたに食べ物を差し上げたり、水を飲ませたりしたでしょうか。
しかし、私と私の国民とは、いったい何者だというのでしょう。こんな、わずかばかりのものしかおささげできないのです。私たちが持っているものはすべてあなたが下さったもので、私たちはただ、それをお返ししているにすぎません。
主を恐れ、謙遜に生きる人は知恵を身につけ、 人の称賛を得ます。
私たちはみな罪の毒に冒され、汚れきっています。 これこそ正義だという最上の着物をまとっても、 悪臭を放つぼろきれにすぎません。 私たちは秋の木の葉のように色あせ、 しおれて落ちます。 あえなく罪の風に吹き飛ばされるばかりです。
それにまた、わたしが裸の時に服を与え、病気の時や、牢獄にいた時には見舞ってもくれました。』
また、いったいいつ、あなたをお泊めしたり、服を差し上げたり、
神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸いです。そういう人の願いは完全にかなえられるからです。
ですから、人に親切にする時は、右手が何をしているのか左手でさえ気づかないくらいに、こっそりとしなさい。
今の私があるのは、あふれるほどに注がれた神の恵みとあわれみによるのです。この恵みとあわれみは、むだではありませんでした。なぜなら、私はほかのどの使徒たちよりも働いてきたからです。けれども、実際に働いたのは私ではなく、私のうちにある神の恵みです。