彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神のおきての代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13)」
私が今までしてきたことは、むだだったのでしょうか。 きよくあろうと苦しんだ日々は、何だったのでしょう。
実行するつもりもないのに、むやみにわたしの名を使って誓ってはならない。そのようなことをしたら必ず罰せられる。
そこで主は語ります。 「この民は、口先ではわたしの民だと言いながら、 実際にはわたしに従っていない。 彼らの礼拝は、機械的に覚えた文句の反復にすぎない。
あなたがたを罰する。突然、恐怖が襲いかかり、結核や熱病が猛威をふるうだろう。目は衰え、生きる気力もなくなる。種をまいても、収穫は全部、敵が横取りする。
いくら耕し、手入れをしても、収穫は全くない。
聞きなさい。あなたがたはこう言った。 『神を礼拝したり、 神に従ったりするのは愚かなことだ。 律法を守っても、罪を悲しんでも、 何の良いことがあるだろう。 これからは、「高ぶる者は幸いだ」と言おう。 悪を働く者が栄え、 神に罰せられるようなことをしても、 罰を免れて平気でいるからだ』と。」
それからイエスは、群衆を呼び寄せて言われました。「いいですか、よく聞きなさい。
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神の命令の代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13) なんと的を射たことばでしょう。
もし初めにいい加減な気持ちで信じたのでなく、今もなお堅く信じているのなら、この福音は、あなたがたを救ってくれるのです。
そんな恐ろしいことをしないように、私が与えるすべての戒めを守り行いなさい。それにつけ加えたり、削ったりしてはいけません。
そして、ユダヤ人の作り話や、真理に逆らう者の言い分に耳を傾けることなど、きっぱりやめさせなさい。
まちがった教えに心を奪われてはなりません。あなたがたの霊的な力は神からのものであって、ある特定の物を食べる規定によって得られるものではありません。そのような規定を厳守しても、何の益にもなりません。
ああ、あなたは、なんと愚かであわれな人でしょう。みことばを実行しなければ、信じることなどむなしいことを、いつになったら悟るのですか。行いを伴って初めて本物と言えるのです。
私は、この書物を読むすべての人に、厳かに宣言します。ここに書かれていることに、一語でも書き加える者がいれば、神はその人に、この書物にあるとおりの災いを下されます。
ダビデは道々、こう思っていたところでした。「ナバルのために、どれほど尽くしたことか。荒野で、われわれが羊の群れを守ってやったおかげで、一頭も失わず、盗まれもしなかったではないか。なのに、彼は恩を仇で返してきた。あれほど苦労して、得たものが侮辱だけだったとは。