それからイエスは、群衆を呼び寄せて言われました。「いいですか、よく聞きなさい。
ミカヤはすかさず言い返しました。「万が一にも、あなたが無事にお戻りになるようなことがあったら、主が私によってお語りにならなかった証拠です。」そして、そばに立っている人々に、「私が言ったことを、よく覚えておきなさい」と言いました。
わたしのところへ来て、耳を傾けてよく聞くのだ。 あなたがたは立つか倒れるかの瀬戸際なのだ。 わたしはあなたがたと永遠の契約を結び、 ダビデ王を愛したように、 今も変わらず、あなたがたを愛したい。
「では行って、こう言うのだ。 『おまえたちは、わたしのことばを何度も聞くが、 悟ることがない。わたしが奇跡を行うのを何度見ても、 それが何を意味するのか理解することができない。』
最初の道ばたというのは、踏み固められた土のことで、御国についてのすばらしい知らせを耳にしながら、それを理解しようとしない人の心を表しています。こういう人だと、悪魔がさっそくやって来て、その心から、まかれた種を奪い取っていくのです。
禁じられている物を食べたからといって、それで汚れるわけではありません。人を汚すのは、口から出ることばであり、心の思いなのです。」
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神のおきての代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13)」
ですから、預言者ダニエルが語った、あの恐るべきもの(ダニエル9・27、11・31)が聖所に立つのを見たなら〔読者よ、この意味をよく考えなさい〕、
イエスが弟子たちの心の目を開いてくださったので、彼らはやっと理解しました。
どうか、主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、あなたがたに知恵を与えて、キリストがどのようなお方か、何をしてくださったかを、正しく、はっきりと理解させてくださいますように。
そういうわけで、私たちはそのことを聞いた時から、絶えずこう祈り求めています。どうか、神が何を望んでおられるか、はっきりとあなたがたにわかりますように。また、霊的なことに対する理解力が与えられますように。
神が何を望んでおられるか知りたいなら、遠慮なく、直接尋ねなさい。神は喜んで教えてくださいます。願い求める人には、神はいつでも惜しみなく、あふれるばかりの知恵を授けてくださるからです。そのことで、決してとがめたりはなさいません。