あなたがたは、神の力強い御手の下で自分を低くしていなさい。ちょうどよい時に、神はあなたがたを高く引き上げてくださるでしょう。
「アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。あんなにまでしているので、王が生きている間、私の誓ったことは実行しないことにする。息子の代にそれらのことが起こって、彼の子孫はみな滅びる。」
王がへりくだった時、主の怒りは収まったので、徹底的に懲らしめられるようなことはありませんでした。事実、シシャクの侵略を受けてからも、ユダの経済力は衰えませんでした。
しかし、アシェル、マナセ、ゼブルンの部族のある者たちは主に心を向け、エルサレムへ上って来ました。
そこで、王とエルサレムの住民は高慢の罪を悔い改め謙遜になったので、主の憤りは去り、ヒゼキヤの在世中、二度と主の怒りは臨みませんでした。
その時になって王はようやく本心に立ち返り、へりくだって神に助けを求めました。
王の祈りと、それが神に聞き届けられたこと、および悔い改める前に犯した罪や失敗についての報告は、預言者たちの言行録に包み隠さず記されています。その中には、王が偶像の宮を築いたり、恥ずべき像や刻んだ像を置いたりした場所が挙げてあります。
しかも、父のようには態度を変えてへりくだることをせず、ますます大きな罪を犯しました。
彼もまた、主の目に悪を行いました。主のことばを語る預言者エレミヤの勧めを聞こうとしなかったからです。
神は全能だ。 神のようなすばらしい教師はいない。
神は、「悪者の力は打ち砕こう。 しかし、正しい者の力は増し加えよう」と言われます。
あなたの腕の力は天下に並ぶものがなく、 あなたの栄光ある右の手は、高くあげられています。
モーセとアロンはもう一度、ファラオに会見を申し入れました。「ヘブル人の神、主が言われます。『いつまであなたは、わたしの言うことに逆らうのだ。わたしの民がわたしを礼拝できるよう、行かせなさい。
だが、王も一筋縄ではいかない。
しかし、モーセは必死で嘆願しました。「主よ、あなたご自身があれほど大きなお力を示し、すばらしい奇跡をもって、ご自分の民をエジプトから救い出されたのではありませんか。その民に、なぜそのようにお怒りになるのでしょう。
自分を鼻にかけすぎるとたたかれ、 謙遜にしているとほめられます。
身のほど知らずの思い上がりが、 打ち砕かれる日がきたからです。 たたえられるのはただ主だけです。
谷を埋め、丘をけずり、 曲がりくねった道をまっすぐにし、 荒れた道を広げて平らにせよ。
永遠を住まいとする 高く上げられた聖なるお方が語ります。 「わたしは高くて聖なる所に住んでいるが、 そこには、心のへりくだった謙遜な人が住む。 わたしは謙遜な人を生き返らせ、 悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。
「王と王母に、王座から降りて、 ちりの中に座れと告げなさい。 頭上に輝く冠は奪い取られ、 ほかの人に与えられるからだ。
今この時まで、わびた者は、だれもいない。一人として、わたしに立ち返ろうとせず、わたしがおまえたちの先祖に与えたおきてに従おうともしない。』
イスラエルの精鋭もみな剣で殺され、エルサレムに残った者も四散させらされる。その時あなたは、主であるわたしがこのことを語ったのだとわかる。」
人の子よ、激しい苦悶のあまり、人々の前で嘆き、うめき声を上げよ。
その後継者であるあなたは、そのことをみな知っていながら、へりくだることをなさいませんでした。
神は望んでいることをあなたに告げたました。 すなわち、えこひいきせず、公平で、 あわれみ深くあること、 また、謙遜にあなたの神と共に歩むことです。
われこそはと思っている人たちは、必ず失望し、高慢の鼻をへし折られてしまいます。一方、自分から身を低くする者は、かえって高く上げられるのです。
権力をふるう者を王座から引きずり降ろし、 身分の低い者を高く引き上げ、
自分から名誉を受けようとする人は低くされ、自分を低くする人は名誉を受けるのです。」
よく言っておきますが、罪を赦されて帰ったのは、パリサイ人ではなく、この罪人のほうです。高慢な者は卑しい者とされ、謙遜な者には大きな名誉が与えられるのです。」
私たちが逃れる道もなく、行き詰まっていた時、キリストはおいでになり、何のとりえもない、私たち罪人のために死んでくださいました。
いったい、あなたがたは主を怒らせようとしているのですか。自分が主よりも強いとでも言うのですか。
復讐はわたしの務め、 イスラエルの敵には罰を下す。 判決はすでに下った。」
主の前で、自分がいかに取るに足りない存在か思い知らされる時、主はあなたがたを助け起こし、力づけてくださるのです。
ですから、神の前に謙遜になりなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。悪魔はしっぽを巻いて逃げ出すでしょう。
どんな苦難の中でもじっと忍耐した預言者たちを見ならいなさい。