しかし、テモテは違います。よくご存じのとおり、まるで私の息子のように、福音の働きを助けてくれました。
テモテはルステラとイコニオムのクリスチャンたちから好感を持たれていたので、
忍耐によって私たちの品性が磨かれ、さらに、それによって希望が与えられるのです。こうして、私たちの希望と信仰は強められ、どんなことにも動じなくなるのです。
テモテが着いたら、あたたかく迎えてやってください。彼も私と同じように、主の仕事に励んでいる人です。
その点であなたがたの助けになればと思い、テモテを遣わします。彼は、私がキリストに導いた一人で、主にあって愛し、信頼できる息子だからです。彼は、私自身が実践している信仰者の生き方を、私が行く先々の教会で教えているとおりに、あなたがたに思い出させてくれるでしょう。
私の手紙は、あなたがたがどのくらい私の指示に従ってくれるかを確かめるためのものでした。
また、もう一人の友人にも行ってもらいます。実に多くの点で、この人が熱心なクリスチャンだとわかります。あなたがたが献金に熱心であることを話したところ、彼は特別関心を持った様子で、今度の旅行を心待ちにしています。
どうか、私に対するのと同様、この人たちにも愛を示してください。そうして、私が公の場で、「コリント教会の人たちなら、きっとこうします」と、彼らに誇ってきたことを裏づけてください。
これは命令ではありません。献金しなければならない、と言っているのではありません。ただ、ほかの人々の献金に対する熱心さを話しているのです。しかし、この献金の奉仕は、あなたがたの愛が単に口先にとどまらず、真実のものだと証明する一つの手段にはなるでしょう。
愛する皆さん。このことを、わきまえていてほしいのです。ここで私の身に起こったことはすべて、キリストについての福音を広めるのに、たいへん役立っているという事実をです。
私を愛する気持ちから、そうしているのです。私をこのような状況下に置かれた主の目的が、福音を弁証させる点にあることを知っているからです。
それは、あなたがたが福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を初めて聞いた日から今日まで、全力をあげて、その知らせを宣べ伝える働きに協力してくれたからです。
こう考えるのは、きわめて当然です。あなたがたは、私にとって特別な存在なのですから。私が獄中にある時も、自由の身でキリストの福音を語っている時も、あなたがたは、私と共に神の祝福をいただいたからです。
テモテほど親身になって、あなたがたのことを心配している人はいません。
私の子テモテよ。あなたに命じます。主が預言者(神のことばを託されて語る人)たちを通して言われたように、主のための戦いをりっぱに戦い抜きなさい。
テモテへ。あなたは信仰の面から言えば、私の息子のようなものです。どうか、父なる神と主イエス・キリストの恵みとあわれみによって、あなたの心と思いが豊かな平安で満たされますように。
このことを、ほかの人たちにはっきり教えなさい。そうすれば、あなたは牧師の義務をりっぱに果たしたことになるのです。牧師は、自らの信仰と、従ってきた真理の教えとによって成長するのです。
しかしあなたは、私が何を信じ、何を望み、どのように生活しているか、よく知っています。キリストに対する私の信仰も、苦しみも、そして、あなたへの愛と忍耐も知っています。