続いて、ベテ・ツル半区の区長である、アズブクの子ネヘミヤは、ダビデ王の墓地と人工貯水池、勇士たちの家までの城壁を修理しました。
ヒゼキヤ王のその他の業績、貯水池と水道を造って町に水を引いたことなどは、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
シャマイの子はマオン。マオンはベテ・ツルの父。
次いで、泉の門と王の池へ向かいましたが、瓦礫のせいで、ろばの通れる場所がありませんでした。そこで、町の回りを巡り、流れに沿って進み、城壁を調べて、再び谷の門から中に入りました。
ロヘシュの子シャルムとその娘たちが、続きの部分の修理に当たりました。シャルムはエルサレムの残り半区の区長です。
糞の門は、レカブの子マルキヤが修理しました。マルキヤはベテ・ハケレム地区の区長です。糞の門ができ上がると、扉、かんぬき、横木が取りつけられました。
その続きは、バニの子レフムの指導のもとにレビ人の一団が奉仕しました。続いて、ケイラ半区の区長ハシャブヤが監督して、自分の地区の城壁を再建しました。
続いて、フルの子で、エルサレム半区の区長をしていたレファヤが工事に当たりました。
ごらんなさい。 あれは六十人のえりぬきの勇士に守られた、 ソロモン王のみこしです。
大急ぎで城壁を調べて、 修理が必要な箇所を探し、家々を見て回り、 ある家を壊して城壁を修理する材料にします。 また、二重になっている城壁の間に貯水池を造り、 下の池から水を引きます。 しかし、このような必死の努力も無駄になります。 ずっと前からこのような計画を立てていた神の助けを、 求めなかったからです。」
その時、主はイザヤに命じました。「息子のシェアル・ヤシュブを連れて、アハズ王に面会を求めなさい。王は今、ギホンの泉から布さらしの野に通じる道の近くにある、上の貯水池へと向かう上水道の端にいる。
愛する皆さん。考えてください。ダビデはここで、自分のことを語っているわけではありません。そうでしょう。ダビデは死んで葬られ、その墓は今でも、ちゃんと残っているではありませんか。