ミツパ地区の区長である、コル・ホゼの子シャルンは、泉の門を修理しました。シャルンは門ができ上がると、屋根をふき、扉、かんぬき、横木を取りつけました。続いて、シロアムの池から王の庭まで、つまりエルサレムのダビデの町から下る石段までの城壁を修理しました。
ダビデは、このシオンの要害をダビデの町と呼び、自身の本拠地に定めました。ついで町の旧ミロ地区から北側に、現在のエルサレムの中心部に向かって城壁を築きました。
その夜、王とその手勢は、内側の城壁に穴をあけ、宮殿の庭園の近くにある、二重の城壁の間の門を通り抜けて、アラバへ逃げました。町を包囲していたバビロンの兵士たちはあとを追い、エリコの平原でゼデキヤ王を捕らえたので、王の軍隊は散り散りになりました。
さらに、ギホンの上の泉をせき止めて水道を敷き、その水を、エルサレムにあるダビデの町の西側にまで引きました。彼のなしたことは、みなうまくいきました。
泉の門まで来た一行はまっすぐ進んで、城のかたわらのダビデの町に通じる階段を上りました。そして、東の水の門へと進んだのです。
次いで、泉の門と王の池へ向かいましたが、瓦礫のせいで、ろばの通れる場所がありませんでした。そこで、町の回りを巡り、流れに沿って進み、城壁を調べて、再び谷の門から中に入りました。
しかし、時が来たので、私は人々に呼びかけました。「この町はごらんのとおりの惨状です。荒れ果てたまま、門も焼け落ちたままです。さあ、エルサレムの城壁を再建しようではありませんか。この恥ずべき事態を解決しましょう。」
ロヘシュの子シャルムとその娘たちが、続きの部分の修理に当たりました。シャルムはエルサレムの残り半区の区長です。
糞の門は、レカブの子マルキヤが修理しました。マルキヤはベテ・ハケレム地区の区長です。糞の門ができ上がると、扉、かんぬき、横木が取りつけられました。
そのあとの仕事は、ミツパの残り半区の区長である、ヨシュアの子エゼルの監督下に進められ、武器庫のある城壁の曲がり角の部分まで行われました。
その続きは、ギブオン出身のメラテヤと、メロノテ出身のヤドン、それに、ほかの管轄領の住民であるギブオンとミツパの人たちが引き受けました。
続いて、フルの子で、エルサレム半区の区長をしていたレファヤが工事に当たりました。
「エルサレムの住民は、 わたしが親身に世話をしたのに見向きもせず、 レツィン王とペカ王が、 助けに来てくれないかと、やっきになっている。
エレミヤはゲダルヤのもとへ帰り、国に残っている人たちといっしょに暮らしました。
また、シロアムの塔の下敷きになって、十八人が死にました。彼らのことはどう思いますか。エルサレムで一番罪深い人たちだったのでしょうか。
言われました。「さあ、シロアムの池に行って洗い落としなさい」〔「シロアム」とは、「遣わされた者」の意味〕。イエスが言われたとおりにすると、どうでしょう。彼は見えるようになって戻って来たではありませんか。
そこで全イスラエルから、ミツパに指導者たちと四十万の兵が向かい、主の前に一つの心になって集結したのです。ダンからベエル・シェバに至る全国各地はもとより、ヨルダン川の東側のギルアデからも、ぞくぞくと集まって来ました。
イスラエル軍がミツパに集結したという知らせは、まもなくベニヤミン領内に伝わりました。イスラエルの指導者たちは殺された女の夫を呼んで、真相を話すよう求めました。