しかしあなたは、私が何を信じ、何を望み、どのように生活しているか、よく知っています。キリストに対する私の信仰も、苦しみも、そして、あなたへの愛と忍耐も知っています。
しかしダニエルは、王の支給する食物(ユダヤの法律で食べることが禁止されていた豚肉などが含まれていたと思われる)もぶどう酒も断じて口にしないと決心し、ほかの食事をとることができるよう、監督官に許可を願い出ました。
しかし私は、すべての記録をもう一度初めから検証し、徹底的に調査した上で、あなたのために順序正しく書いて差し上げたいと思うようになりました。
アンテオケに到着したバルナバは、神のなさるすばらしいことを見て深く感動し、喜びにあふれました。そして一人一人に、どんな犠牲をはらってでも、絶対に主から離れないようにと忠告し、励ましました。
彼らは、使徒たちの教えをよく守り、聖餐式(パンと杯によりキリストの体と血の祝福にあずかる、キリスト教の礼典の一つ)や祈り会に加わっていました。
集まった長老たちに、パウロは語りました。「私が小アジヤに足を踏み入れて以来、どんなふうに生きてきたかは、よくご存じですね。
このことはユダヤ人もよく知っているのですが、私はタルソで生まれ、エルサレムでユダヤ教徒としての徹底した訓練を受け、それにふさわしく生きてまいりました。
この手紙を終える前に、もう一つ言っておきたいことがあります。キリストについて今まで学んできたことに反することを教えて、分裂を引き起こし、人々の信仰をくつがえすような人たちから離れなさい。
では、なぜその計画を変更したのか、と尋ねられるかもしれません。その決心が、まだ固まっていなかったからでしょうか。それとも、私も世間の人のように、ほんとうは「いいえ」と言いたいのに、「はい」と言ったりしたのでしょうか。
そこで、もはや、だれかから間違ったことを教えられたり、うそを真実のようにたくみに見せかけられたりしても、そのたびに、子どものようにふらふらと信じるものを変えてはいけません。
テモテほど親身になって、あなたがたのことを心配している人はいません。
しかし、テモテは違います。よくご存じのとおり、まるで私の息子のように、福音の働きを助けてくれました。
それは、私たちが伝えた福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を聞き流さず、非常な関心をもって迎え入れた態度から明らかです。私たちが語った教えは、あなたがたの人生に重大な影響を与えました。聖霊によって、これこそ真理だという確信があなたがたに与えられたからです。また、私たちの生活そのものも、私たちが語ったことばの正しさを実証したと言えるでしょう。
私がマケドニヤ(ギリシヤ北部の州)に出発する際、指示しておいたように、あなたは引き続きエペソの教会にとどまり、まちがった教えを言い広めている者の口を封じてください。彼らの作り話や伝説、また、むなしい系図論争を終わらせなさい。このような教えは、信仰によって救われるという神のご計画を妨げるばかりか、かえって、さまざまの疑問と議論を巻き起こすもとになります。
このことを、ほかの人たちにはっきり教えなさい。そうすれば、あなたは牧師の義務をりっぱに果たしたことになるのです。牧師は、自らの信仰と、従ってきた真理の教えとによって成長するのです。
テモテよ。あなたは神に仕える者です。ですから、これらすべての悪から逃れて、正しく良いことに熱心に励みなさい。神を信頼し、人を愛し、忍耐強く、ものやわらかな態度を身につけ、
若い時の情欲を避け、それから遠ざかりなさい。反対に、いつも正しいことをしたいという気持ちをいだいていなさい。信仰と愛とを保ち、純粋な心で主を愛している人々とのつき合いを、大切にしなさい。
どんな時にも、神のことばを熱心に伝えなさい。機会があろうとなかろうと、つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。過ちを犯している人には忠告して、正しい道に引き戻しなさい。そして善を行うよう励まし、神のことばを教え続けなさい。
なぜなら、人々が真理のことばを耳ざわりだと敬遠し、自分につごうの良い話をする教師を求めて歩き回る時代が来るからです。
主のために、長いあいだ困難な戦いを続けてきた私は、主への真実を守り通しました。しかし今、ついに、休む時が来たのです。
まずあなたが、正しい模範を示すことです。真理を愛し、何事にも真剣に取り組んでいることが、だれの目にもはっきりわかるようにしなさい。
まちがった教えに心を奪われてはなりません。あなたがたの霊的な力は神からのものであって、ある特定の物を食べる規定によって得られるものではありません。そのような規定を厳守しても、何の益にもなりません。
このように、これらのものがみな滅び去るのですから、私たちはどれほどきよく、敬虔な生活を送らなければならないことでしょう。