私がごくあたりまえの弱い人間であることは事実です。しかし私は、戦いに勝つために人間的な計画や方策を用いません。
私たちの古い性質がまだ生きていた時には、欲望が私たちの中で思うままにふるまい、神の命令に逆らって、罪深い行いという死に至る腐った実を結びました。
もし古い性質に従い続けるなら、道に迷い、やがて滅びるしかありません。しかし、もし御霊の力によってそれを打ち砕くなら、あなたがたは生きるのです。
ですから今、私たちは聖霊に従って歩むなら、律法に従うことができるのです。そしてもはや、古い罪の性質の言いなりになることはありません。
では、なぜその計画を変更したのか、と尋ねられるかもしれません。その決心が、まだ固まっていなかったからでしょうか。それとも、私も世間の人のように、ほんとうは「いいえ」と言いたいのに、「はい」と言ったりしたのでしょうか。
悪魔の要塞を打ち破るために、人間の手によらない神の強力な武器を使います。
私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。
私の子テモテよ。あなたに命じます。主が預言者(神のことばを託されて語る人)たちを通して言われたように、主のための戦いをりっぱに戦い抜きなさい。
主のために、長いあいだ困難な戦いを続けてきた私は、主への真実を守り通しました。しかし今、ついに、休む時が来たのです。
このように、数えきれないほどの多くの証人たちが、競技場の観覧席で私たちを見つめているのです。だから、うしろへ引き戻そうとする力や、まとわりつく罪をふり捨てて、神の用意された競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。