私がそちらに行って、わざわざきびしくふるまって見せなくてもすむように、と願っています。もっとも、私の言動が普通の人間と少しも変わらないと見くびっている人々に対しては、きびしくふるまうつもりですが。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。
ですから今、私たちは聖霊に従って歩むなら、律法に従うことができるのです。そしてもはや、古い罪の性質の言いなりになることはありません。
罪の性質に従っている人は自分を喜ばせようとしますが、聖霊に従って歩む人は、神に喜んでいただこうとします。
では、なぜその計画を変更したのか、と尋ねられるかもしれません。その決心が、まだ固まっていなかったからでしょうか。それとも、私も世間の人のように、ほんとうは「いいえ」と言いたいのに、「はい」と言ったりしたのでしょうか。
口にするのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちの態度が弱すぎたのです。 しかし、彼らが誇るくらいのことは何でも――またしても愚か者のつもりで言いますが――私だって誇れるのです。
そちらに行って、しかったり罰したりしないですむようにと願いつつ、今この手紙を書いています。私に託されている主の権威を、あなたがたを罰するためにではなく、強くするために使いたいからです。
私は、前回の滞在中、前から罪を犯していた人たちにすでに警告しておいたはずですが、今また、彼らだけでなく、あなたがた全員に警告します。次に会ったら、きびしく罰するつもりです。手かげんはしません。