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コリント人への第一の手紙 4:10

リビングバイブル

信仰のために私たちが愚か者になったと、あなたがたは言います。そういうあなたがたは、もちろん、たいそう賢いクリスチャンなのでしょう。私たちは弱くて、あなたがたは強いのです。人受けのよいあなたがたと違って、私たちは笑いものにされています。

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38 相互参照  

エフーが仲間の将校たちのところに戻ると、一人が尋ねました。「あの気が変な男は、何をしに来たのだ。何か変わったことでもあるのか?」 「あなたがたは、あれがだれか、何を言ったか、よくわかっているはずだ」とエフーが言うと、

隣近所とけんかをするほど愚かなことはありません。 賢い人は不必要なことは話しません。

私たちは彼をさげすみ、受け入れませんでした。 彼は悲しみの人で、 苦しみをなめ尽くした人でした。 私たちは彼に背を向け、 そばを通っても顔をそらしました。 彼が侮られても、そ知らぬふりをしていました。

イスラエルの刑罰の日がきた。 報復の日がほぼきており、まもなくイスラエルは、 そのことをいやというほど思い知らされる。 『預言者たちは頭がおかしい。』 『霊感を受けた人たちは狂っている。』 こう言って人々はあざ笑う。 それは、この国が罪の重りをつけられ、 神を愛する者たちに憎しみしか示さないからだ。

その時、あなたがたは苦しめられ、殺されることもあるでしょう。また、わたしの弟子だというだけで、世界中の人から憎まれるでしょう。

わたしの弟子だというので、悪口を言われたり、迫害されたり、ありもしないことを言いふらされたりしたら、それはすばらしいことなのです。

イエスは、さらに続けて言われました。「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。あなたがたを受け入れない人は、わたしを受け入れないばかりか、わたしを遣わされた神をも受け入れないのです。」

それから、自分を正しい者とし、他人を軽蔑する人たちに、こんな話をなさいました。

わたしの弟子だというので、憎まれたり、追い出されたり、悪口を言われたりするなら、なんと幸いなことでしょう。

パウロはまた、エピクロス派やストア派(二つとも当時の代表的ギリシャ哲学)の哲学者たちとも議論を戦わせました。ところが、イエスのことやその復活のことに話がおよぶと、「彼は夢を見ているのだろう」とあざ笑う者もいれば、「おおかた外国の宗教でも押しつけるつもりだろう」と言う者もいました。

死者の復活にまで話がおよぶと、ある者たちは笑って相手にしなくなり、ある者たちは、「くわしいことはまたいつか聞くことにしよう」と言いました。

ここで突然、フェストが大声をあげました。「パウロ、気がおかしくなったか! あまりに学問に身を入れすぎて、おかしくなったのだ。」

彼には、わたしのために、どんなに苦しむことになるかを告げるつもりです。」

この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神を見いだせないのは、神のお考えによることです。そして神様は、愚かで話にならないような神のことばを信じる人を、救うことにされたのです。

それで、人々を救うために死なれたキリストについて話すと、ユダヤ人は腹を立て、外国人は「まるで無意味だ」と言うのです。

この「愚かしい」神の計画は、最高の知者の最も賢明な計画より、はるかにすぐれたものです。また、キリストの十字架上の死という神の弱さは、どんな人間の強さよりも強いのです。

ですから、よく注意しなさい。「私は、そんなことは絶対にしないから大丈夫」などと思っている人がいれば、そういう人こそ注意しなければなりません。同じ罪を犯すかもしれないからです。

しかし、クリスチャンでない人は、聖霊が教えてくださる神の思いを理解することも、受け入れることもできません。彼らには愚かしく思えるのです。というのは、自分のうちに聖霊をいただいている人だけが、聖霊のお考えを理解できるからです。

私は弱々しく、おずおずと震えおののきながら、あなたがたのところへ行きました。

自分をだますのはやめなさい。だれか、「自分は世の知者だ」と、もし考えているのなら、そんな考えは捨てて、愚か者になるほうが身のためです。天からの真の知恵を受ける妨げにならないためです。

つまり、堅い食物を避けてミルクを飲ませました。堅い食物の消化はむりだったからです。実は今でも、あなたがたはミルクしか飲めない状態です。

あなたがたは、自分に必要な霊の食べ物はみな、すでに手にしたと思っているようです。十分に満ち足り、霊的に満足しています。私たちを差し置いて、裕福な王様のようになり、王座にふんぞり返っています。ああ、あなたがたはほんとうに王様になっていたらよかったのです。そうすれば、いつか私たちも、あなたがたと共に君臨できたでしょうに。

こう言う人もいます。「パウロの手紙なんか気にするな。偉そうなことを言っても口先だけで、実際に会ってみればよくわかる。いかにも頼りなげで、話もへただ。」

賢いあなたがたなのに、よくもうれしそうに、あの愚か者たちの言うことを聞いていますね。

誤った道を進んでいる人を見て、悲しまないでいられるでしょうか。倒れている人を見て、知らん顔ができるでしょうか。精神的に痛手を受けている人を見て、傷つけた相手に激しく怒らずにいられるでしょうか。

自分たちは弱く軽蔑されても、あなたがたがほんとうに強くなってくれればうれしいのです。最大の願いと祈りは、あなたがたが霊的に整えられた者になってくれることです。

私たちはキリストの福音を宣べ伝えているために、死に直面しています。しかしその結果、あなたがたに永遠のいのちが与えられるのです。

人に尊敬されようと軽蔑されようと、あるいは非難されようと賞賛されようと、主への忠誠に変わりはありません。人からはうそつきと呼ばれようと、私たちは正直です。

もし、これらの戒めに従うことを拒むなら、人にではなく、聖霊を与えてくださった神にそむくことになるのです。

もしクリスチャンであるばかりに、ののしられ、非難されるなら、あなたがたは幸いです。神の御霊がいっしょにいてくださるからです。




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