だがわたしは、生き残ったみなしごたちを守り、 未亡人たちがわたしを頼りとするようにする。」
主は外国人の権利を守り、 孤児や未亡人を支えますが、 その一方、悪者の計画をくつがえされます。
きよいお方である神は、 父親のいない子の父となり、 未亡人の訴えを公正に取り扱ってくださいます。
貧しい者、悩む者、身寄りのない者、 日々の暮らしに事欠く者を公平にさばけ。
アッシリヤは私たちを救えません。 私たちの戦力も救えません。 もう二度と、自分たちの作った偶像を 『私たちの神』と呼びません。 主よ、みなしごは、あなたの中にしか、 あわれみを見つけることができないのです。」
だとしたなら、このニネベのように大きな町をわたしが惜しまないはずがあるだろうか。そこには、霊的な闇の中にいる十二万の人々と、たくさんの家畜がいるのだ。」
未亡人や孤児、外国人や貧しい人を虐げることをやめ、互いに悪をたくらむな、と彼らに告げなさい。
その時、わたしのさばきは速やかに、 確実に行われる。 罪のない人を欺く悪者に、 不品行な者と偽り者に、 雇い人を不当な賃金で虐げる者に、 未亡人や孤児を苦しめる者に、 外国人をだます者に、 わたしを恐れない者に、 わたしはただちに向かう。」 と主は語ります。
孤児や未亡人のために正しい裁判をし、外国人をも差別せず、食べ物や衣服をお与えになります。
教会が世話をすべき人は、身寄りのない貧しい未亡人たちです。中でも、ひたすら神に信頼し、多くの時間を祈りに費やす人たちです。
父なる神の目から見て、純粋で汚れのない信仰とは、みなしごや未亡人が困っていれば世話をし、この世から自分をきよく守ることです。