イスラエルの望みである主よ。 神に背く者はみな、面目を失い、恥をかきます。 そのような者の名は、地上の名簿には載っていますが、 天の名簿には載っていません。 いのちの泉である主を見捨てたからです。
しかし、ああ神よ。この私は、 貧困と苦痛から救い上げてくださいますように。
ああ主よ、あなただけが頼りです。 私は幼いころからあなたに信頼してきました。
神をあがめない者は滅びます。 神は、ほかの神々に仕える者を滅ぼされるからです。
拝む価値もない神々を誇る者どもは、 恥をかきますように。 その神々はみな、主の前にひれ伏すべき存在です。
正しい人のことを思い出すのは楽しいものです。 しかし悪人の名前は、思い出すだけでも不愉快です。
信仰をなくした人は自分に嫌気がさしますが、 神を恐れる人の生活には活気があります。
だが罪人は、最後の一人まで滅び去る。 わたしのところへ来ようとしないからだ。
神を恐れる者は、神のことばを聞いておののけ。 あなたがたの同胞は、わたしに忠実だというだけで、 あなたがたを憎み、退ける。 『神に栄光があるように。主を信じて、 せいぜい幸せになるがいい』と彼らはあざける。 だが、そう言う彼らが恥を見るようになる。」
イスラエルの望みであるお方、 困った時に助けてくださる主よ。 どうして、一夜の宿を求める旅人のように、 この国をあわただしく通り過ぎて行くのですか。
主よ、今になって、私を置き去りにしないでください。 神だけが私の望みです。
私を迫害する者に混乱と悩みをもって報いてください。 私には平安を与え、 彼らには滅びを倍にして与えてください。
主はこう告げます。 「いつかは死ぬ人間を頼りとし、 心が神から離れている者は、のろわれる。
イスラエルがわたしを捨て、この谷を恥と悪でいっぱいにしたからだ。この民は、今の世代の者も先祖も、またユダの諸王も拝んだことのない偶像に香をたき、この地を罪のない子どもたちの血で満たした。
わたしの民は悪事に悪事を重ねた。 いのちの水の泉であるわたしを捨て、 水をためることもできない、壊れた水ためを作った。
神であるわたしが、行くべき道を示したのに、 おまえが反抗したからだ。
彼らを見つけた者は彼らをさんざん食い物にし、『彼らを好きなように料理しよう。彼らは、正義の神であり、彼らの先祖の望みであった主に罪を犯したのだから』と言った。
わたしはおまえたちに向かい、イスラエルの指導者の中から切り捨てる。おまえたちの名を消し去る。おまえたちは二度と祖国を見ることがない。その時、おまえたちは、わたしが主であることを知る。
あなたの今までの行いにもかかわらず、わたしは思いやりを示す。わたしがあなたの行った悪のすべてを赦すとき、あなたは恥じ入って口をつぐむだろう。」神である主が、このように語るのです。
しかし、このことだけはいつも心に刻んでおきなさい。こうするのは、あなたがたのためではなく、わたし自身のためなのだ。ああ、わたしの民イスラエルよ、あなたがたがしたすべてのことを、心の底から恥じよ。」
死んで葬られた者のうち、多くの者が生き返る。ある者は永遠のいのちへ、ある者は永遠の辱めへと。
主がエルサレムの神殿から叫ぶと、地と空は震えだす。 しかし、ご自分の民イスラエルにはとても優しい。 主は彼らの避難所、また力なのだ。
その時、一つの泉がイスラエルとエルサレムの民に対して開かれる。彼らをすべての罪と汚れからきよめる泉が。」
囚人たちよ、安全な場所に来なさい。 まだ希望がある。 味わった苦悩の二倍の祝福を返すと今約束しよう。
しかし、悪霊どもが言うことを聞くからといって、喜んではいけません。ただ、あなたがたの名前が天国の市民として記されていることを喜びなさい。」
「もし、神があなたにどんなにすばらしい贈り物を用意しておられるか、また、わたしがだれなのかを知っていれば、あなたのほうから、いのちの水を下さいと願ったでしょう。」
けれども、わたしがあげる水を飲めば、絶対に渇くことはありません。わたしがあげる水は、それを飲む人のうちで永久にかれない泉となり、いつまでもその人を永遠のいのちで潤すのです。」
今日、皆さん方をお招きしたのは、お近づきになりたかったからです。また、私が捕らわれの身であるのは、メシヤ(救い主)が来られたと信じているためだと、わかっていただきたかったからです。」
私たちの救い主である神と、唯一の希望である主イエス・キリストによって遣わされた使徒パウロから、
いのちの書に名前の記されていない者はみな、火の池に投げ込まれたのです。
いっさいのわざが成し遂げられました。わたしは初めであり、終わりです。のどの渇いている者には、いのちの水の泉をあげましょう。
それから天使は、いのちの水の川を見せてくれました。それは水晶のように透き通り、神と小羊との王座から流れ出て、
聖霊と花嫁は、「来てください」と言っています。これを聞く人々は、同じように、「来てください」と言いなさい。渇いている人(求めている人)は、だれでも来なさい。そして、いのちの水をただで受けなさい。
それは、王座の正面に立たれる小羊が、羊飼いとして彼らを養い、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また神は、彼らの目からあふれる涙を、すっかりぬぐい取ってくださるのです。」