どんなに知恵があっても、偶像を拝む者はみな、 愚か者です。
そのようなものを作ったり、 拝んだりする者たちは、偶像と同じくらい愚かです。
偶像を作る者や、信仰する者も、同じく愚かです。
みな愚かで、役に立たない者ばかりだ。 まるで風のように頼りにならない。
こんな愚かなことがあっていいのでしょうか。神は、見えないようにと彼らの目をふさぎ、理解できないようにと心を鈍くしました。
彼らはよく考えようともしません。「これはただの木片ではないか。同じ木で体を暖め、パンを焼き、肉をあぶった。その残りが神ということがありえるだろうか。木片にひれ伏すなど、ばかげている」と自問自答することもありません。
神を知らない愚か者は、偶像に頭を下げます。 彼らは恥ずかしいことをしています。 いのちも力もない、偽りの神々を作っているからです。
しかも、木や石で作った偶像を拝むなど、彼女にとっては、いとも簡単なことだった。そのため、国中がひどく汚れた。
「わたしの民が愚かなことをやめるまでだ。 彼らは、わたしの言うことを聞こうとしない。 理解力のない子で、判断力がない。 悪いことをするとなると素早いが、 正しいことをする才能など、 まるで持ち合わせていない。」
私は思いました。 「無知で哀れな者に、いったい何を期待できよう。 神の道を知らないのだから、 神に従うことなどどうしてできるだろう」と。
驚いたことに、彼らは木片に向かって、 自分はどうしたらよいかと尋ねている。 神の真理を占いによって知るというのだ。 偶像を恋い慕ううちに、彼らは愚か者になってしまった。 遊女のようにふるまって他の神々に仕え、 わたしを捨ててしまった。
(偽りの神々を拝む者は、 主が与えようとしておられるあわれみに 背を向けています。)
人間が造った偶像を拝んで、何の得があったのか。 そんな物が助けになるなど、全く愚かなうそだ。 自分で造った物を信頼していたとは、 なんと愚かな者か。
そのようなことを偶像に願い求めるのは、 なんと愚かなことでしょう。 占い師の予言することは、ばかばかしい偽りだけです。 実現しない約束に、どんな慰めがあるでしょうか。 ユダとイスラエルは、迷子の羊のように 迷い出てさまよっています。 守ってくれる羊飼いがいないので、 攻撃の的にされているのです。