「さあ、目を上げて見るのだ。 助けはすぐそこまで来ている」と、 真っ先にエルサレムに伝えたのは、わたしだった。
良い知らせを伝える者よ。 山の頂上からエルサレムに向かって叫びなさい。 恐れずに大声で言いなさい。 ユダの町々に「神が来られる」と知らせなさい。
その進撃によって歴史は大きく塗り変えられる。 こんな途方もなく大きなことを演出したのはだれか。 それはわたし、 初めであり終わりである、このわたしだ。 わたしこそが主である。
わたしには証人がいる。 イスラエルよ、あなたがたがわたしの証人、 わたしのしもべだ。 わたしを信じ、わたしだけが神であることを知るために 選ばれたのだ。 わたしのほかに神はいない。 今までも、またこれからも。
クロスに向かって、『わたしの羊飼いだ』と言うと、 彼はわたしが言ったとおりのことをする。 こうしてエルサレムは再建され、 神殿は元どおりになる。 わたしがそう言ったからだ。」
イスラエルの王である主、 イスラエルを救う全能の主は、こう言います。 「わたしは初めであり、終わりである。 わたしのほかに神はいない。
わたしがはっきり何度も、 将来何が起こるか告げてきたことを 忘れてはならない。 わたしだけが神であり、 わたしのような者はいない。
わたしの民、わたしの選んだ者たちよ、 わたしの言うことを聞け。 わたしだけが神だ。 わたしは初めであり、終わりである。
わたしは何度も、これから何が起こるかを 知らせてきた。 そして語り終えるか終えないうちに、 言ったとおり実行した。
イスラエルの神が王座についたという、 平和と救いの良い知らせを伝える者の足は、 山の上を巡り、なんと美しいことでしょう。
見なさい。うれしい知らせを伝える使者たちが、 山を駆け下りて来る。 「侵入者は一掃され、もう心配はない。」 ユダよ、感謝祭をするとふれ回り、 誓ったとおり、主だけを礼拝せよ。 二度と、ニネベから敵が攻めて来ることはない。 彼らは永久に滅ぼされ、再びその姿を見ることはない。
また、神に遣わされなければ、どうして人々のところへ出かけて教えることができるでしょうか。聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」(イザヤ52・7)とあるのは、まさにこのことです。
スミルナにある教会の指導者に、次のように書き送りなさい。『この手紙は、初めであり、終わりであり、死んでのち復活された方からのものです。