いっせいに花が咲き競い、 歌声と喜びの声がわき上がります。 荒野はレバノン山のように緑に囲まれ、 カルメル山の牧場やシャロンの牧草地のように、 美しい景色になります。 そこは神の栄光の舞台となるからです。
森の木々も、主の御前で喜び歌え。 主が地をさばきに来られるからだ。
シャロン出身のシルタイは、シャロン平原で牛の群れの飼育に当たりました。アデライの子のシャファテは、谷にいる牛の群れの飼育に当たりました。
一族は、バシャンの地のギルアデとその周辺、ならびにシャロンの牧草地全域に住んでいました。
シオンの山のうるわしい宮から、 神の栄光が輝きわたります。
どうか、平野ばかりか高原にも、 豊作の恵みをもたらしてください。 レバノンのような実り多い地にしてください。 青々とした野原のように、 町を人々であふれさせてください。
栄光に輝くこの方の御名を、 永遠にほめたたえなさい。 主の栄光が全世界を照らしますように。 アーメン。アーメン。
北も南も神がお造りになりました。 タボル山とヘルモン山は、 創造主であるあなたに感謝しています。
天は主の正義を宣言し、 世界中の人々が主の栄光を仰ぎます。
そして朝になったら、主のすばらしさをもっとよく知ることになるだろう。不平を言ったのを、主はちゃんと聞いておられたのだ。私たちに文句を言ったつもりだろうが、私たちは取るに足りない人間なのだ。けれども、主は夕方には肉を、朝にはパンを下さると約束なさった。さあ主の前へ出て、どうお答えになるか聞くがいい。」
私はシャロンのサフラン、谷間のゆりです。」 「
カルメル山が山々の冠となってそびえているように、 あなたの髪はあなたの冠だ。 私は、その豊かな髪のとりこになってしまった。
その日、人々は、 「このお方こそ、私たちが信頼し、 長い間待ち続けた神だ。 とうとう、おいでになったのだ」と大声で叫びます。 なんと喜びにあふれた日でしょう。
やがてイスラエルが根を張り、つぼみをつけ、 花を咲かせ、世界をその実で満たす時が来る。」
しかしついには、天から御霊が注がれ、 再び見渡す限りの黄金の穂波が 見られるようになります。
イスラエル全土が苦難に巻き込まれます。 レバノンは滅ぼされ、シャロンは荒れ地となり、 バシャンとカルメルは略奪されます。
彼らは喜び歌いながら、 この道を通ってシオンへ帰るのです。 悲しみもため息もみな過去のものとなります。 あるのは、喜びと楽しみだけです。
主のすばらしさをすべての人々に示せ。」 主が命じた以上、そのとおりになります。
良い知らせを伝える者よ。 山の頂上からエルサレムに向かって叫びなさい。 恐れずに大声で言いなさい。 ユダの町々に「神が来られる」と知らせなさい。
わたしは不毛の地に、杉、アカシヤ、ミルトス、 オリーブ、糸杉、プラタナス、松の木を植える。
天は喜んで歌いなさい。 地は歓声を上げなさい。山々は歌声を響かせなさい。 主が、悲しみに沈んでいたイスラエルを 優しく慰めるからです。
セラフィムは互いに歌いました。 「聖なる、聖なる、聖なるお方。それは天の軍勢の主。全地は主の栄光で満ちている。」
レバノンの栄光である糸杉、プラタナス、 松などの森はあなたのものとなり、 わたしの聖所を美しくするのに役立つ。 こうして、わたしの神殿は 神々しい光を放つようになる。
もはや太陽や月の光はいらない。 あなたの神であるわたしが、 あなたの永遠の光、あなたの栄光となるからだ。
民は一人の例外もなく正しい人となり、 いつまでもその他を継ぐ。 わたしが自分の手で彼らをそこに植えるからだ。 これは、わたしの栄光を現す。
嘆き悲しむすべてのイスラエル人に、 神は与えます。 灰の代わりに美しさを。悲しみの代わりに喜びを。 重い心の代わりに賛美を。 神はご自分の栄光のために、 優雅で強い樫の木のように彼らを植えたのです。
エルサレムを愛し、そのために嘆いてきた者よ、 エルサレムといっしょに喜び、楽しめ。
あなたがたはエルサレムを見て心を躍らせる。 あなたがたのからだは力が満ちる。 すべての人が、 神の民に加えられた主の恵み深い御手と、 敵に向けられた主の憤りとを見る。」
わたしは天からの露のようにイスラエルを潤すので、 イスラエルはゆりのように花を咲かせ、 レバノン杉のように土の中に深く根を張る。
(海が水で満たされているように、 全地が主の栄光を知ることで満たされる時がくる。)
彼らは力強い戦士のようになる。 ぶどう酒に酔った時のような喜びを味わい、 子どもたちも主のあわれみを見て喜ぶ。 彼らの心は主にあって喜びにあふれる。
この預言は、イエスのことを指しています。イザヤは、メシヤの栄光の幻を見て預言したのです。
父よ。彼らがわたしといっしょにいることができるようにしてください。彼らにわたしの栄光を見させてください。世界の造られる前からわたしを愛しておられた、あなたが下さった栄光を。
ルダとサロン一帯に住む人々はみな、アイネヤが元気に歩き回っている姿を見て、主イエスを信じるようになりました。
また、神に遣わされなければ、どうして人々のところへ出かけて教えることができるでしょうか。聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」(イザヤ52・7)とあるのは、まさにこのことです。
また、ほかの箇所にはこうあります。 「外国人よ。主の民であるユダヤ人と共に喜べ。」(申命32・43)
私たちには顔の覆いがありません。鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。そして、主の御霊が私たちのうちで働いてくださるにつれ、私たちはますます主に似た者にされていくのです。
「闇の中に光が輝け」(創世1・3)と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。
都には、太陽も月もいりません。神と小羊との栄光が、明るく照らしているからです。