「おまえたちのいけにえなど、もううんざりだ。 これ以上わたしのところへ持って来るな。 丸々太った子羊もいらない。 おまえたちの供え物からしたたる血など見たくもない。
あなたが真に望んでおられるものは、 いけにえや供え物ではありません。 完全に焼き尽くすいけにえが、 あなたを特別喜ばせるわけではありません。 しかし、生涯を通じてあなたにお仕えしたいという 私の心は、受け入れてくださいました。
わたしは、祭壇にささげられたいけにえに 不満があるわけではない。 それは欠かさず供えられている。
あなたは罪滅ぼしに何かをせよとはおっしゃいません。 もしそう言われるなら、 喜んで仰せに従うことでしょう。 あなたは、祭壇で焼かれる供え物を 求めておられるわけではありません。
主は悪者の供え物を憎み、正しい人の祈りを喜びます。
神は悪人からの贈り物がきらいです。 何か下心があるときはなおさらです。
供え物をするより、 正しい人であるほうが主に喜ばれます。
彼らはいかにも神を敬うかのように振る舞っている。 毎日神殿へ来て、律法の朗読を聞いて喜ぶ。 彼らはそれに従うことを望み、 神の戒めを軽んじることなど考えられない、 といったふうに見える。 見た目には、正しく礼拝することを心から願い、 神殿での奉仕をことのほか愛しているようだ。
しかし、自分勝手な道を選び、 罪にふける者はのろわれる。 彼らのささげ物を、わたしは絶対に受け入れない。 たとえ牛を祭壇にささげても、見向きもしない。 子羊や穀物をささげても、 犬や豚の血を供えたときのように、顔をしかめる。 わたしに香をたいているつもりでも、 偶像を拝んでいるのだとみなす。
今になって、シェバの香り高い香を わたしの前でたいても、何の役にも立たない。 高価な香はしまっておきなさい。 おまえたちの供え物を受け入れるわけにはいかない。 それらのものは、 もはやわたしにとって良い香りとはならない。
イスラエルの神である天の軍勢の主は、こう命じます。「おまえたちの供え物といけにえを捨てなさい。
いけにえはいらない。 わたしを愛してほしいのだ。 ささげ物もいらない。 わたしを知ってほしいのだ。
この民は、いけにえの儀式を好むが、 わたしにとっては無意味なものだ。 わたしは彼らの罪の清算を要求し、罪を罰する。 彼らはエジプトに戻る。
すべて適切な方法で行い、特別のささげ物もしなさい。 あなたがたは、そうすることを得意がり、 どこでもそれを自慢しています。
あなたがたが祭りと聖なる集会を開いて、 わたしをあがめているふりをするのは、 もうごめんだ。
焼き尽くすいけにえも穀物のささげ物も受けたくない。 和解のいけにえも見たくない。
主は、幾千の雄羊と、幾万の川となるくらいの オリーブ油をささげたら、喜ぶでしょうか。 満足するでしょうか。 長子をいけにえとしてささげたら、 主を喜ばせることになるでしょうか。 そして、罪を赦してもらえるでしょうか。 もちろん違います。
ハガイは質問の真意をはっきりさせて、こう言いました。「あなたがた民は、身勝手な態度と良くない思いをもって過ごすことで、自分がささげるいけにえを汚していた。いけにえだけではなく、わたしに対する奉仕として行うことも汚していた。
「ベテルに帰ったら、全住民と祭司たちに言いなさい。『捕囚の七十年間、あなたがたは第五の月と第七の月に断食して嘆いたが、本気で罪から離れてわたしに帰ろうとしたか。全く、そんなことはなかった。
ああ、あなたがたの中に、神殿の扉を閉ざして、 このようないけにえを拒絶する祭司が、 一人でもいればいいのだが。 わたしはあなたがたに喜びを感じない。 あなたがたのささげ物は受け取らない。」 主は言います。
それで王は、もう一度別の使いをやり、こう言わせました。『何もかも用意ができました。肉も焼き始めています。おいでを待つばかりです。』
さらにこう続けました。「聖書に、『わたしが喜ぶのは、いけにえやささげ物ではなく、あなたがたがあわれみ深くなることである』(ホセア6・6)とあります。このほんとうの意味を、もう一度学んできなさい。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」
サムエルは言いました。「主は、いくら焼き尽くすいけにえやその他のいけにえをささげたとしても、あなたが従順でなければ、少しもお喜びにはならない。従順は、いけにえよりはるかに尊いのだ。主は、あなたが雄羊の脂肪をささげるよりも、主の御声に耳を傾けるほうをお喜びになる。