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ローマ人への手紙 6:1 - リビングバイブル

では、神がますます私たちを恵み、赦し続けることができるように、私たちは罪を犯し続けるほうがよいのでしょうか。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

神からもっともっと恵みを注いでもらうため、これからも過ちを犯しつづけるべきだと思うか?

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Colloquial Japanese (1955)

では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。

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Japanese: 聖書 口語訳

では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。

この章を参照

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

ということは、神からもっと、もっとたくさん恵みを注いでもらうために、これからも過ちを犯しつづけるべきだとあなた達はそう思うのか?

この章を参照

聖書 口語訳

では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。

この章を参照



ローマ人への手紙 6:1
9 相互参照  

神がどれだけ忍耐しておられるか、わからないのですか。それとも、そんなことは気にもかけていないのですか。神があなたを罰しもせず、長いあいだ待っていてくださったのは、罪から離れるのに必要な時間を与えるためでした。神の愛は、あなたを悔い改めに導くためのものです。


それでは、信仰によって救われるのなら、もはや律法に従う必要はないことになるのでしょうか。いや、全く違います。私たちはイエスを信じてこそ、ほんとうに神の命令に従うことができるのです。


それでは、どうなのでしょう。律法を守ることによってではなく、恵みを受けることによって救われるのであれば、「罪を犯してもかまわないのだ」ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。


愛する皆さん。あなたがたは自由を手にしているのです。それは、悪を行うための自由ではなく、互いに愛し合い、仕え合うための自由です。


あなたがたは、この世から解放された自由人です。しかし、それを好き勝手なことをするためにではなく、ただ神に従うことに用いなさい。


こう言うのも、実は、神を恐れない者たちが、あなたがたの中に忍び込んで来たからです。彼らの主張はこうです。「クリスチャンとなったからには、もう神のさばきなど、くよくよ考える必要はない。何でも自由にやりたいことをやればいい。」彼らはずっと昔から、聖書に書かれているとおりの運命をたどる者たちで、私たちのただひとりの支配者であり主であるイエス・キリストを否定しているのです。