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ヘブル人への手紙 9:25 - リビングバイブル

しかも、地上の大祭司が毎年きまって動物の血を至聖所にささげたように、ご自分を何度もささげるようなことはなさいませんでした。

この章を参照

ALIVEバイブル: 新約聖書

しかもこの方は、地上の大祭司が、毎年きまって動物の血を<至聖所>にささげたように、自分を何度もささげるようなことは、しなかった。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

人間の中から選ばれた大祭司は、一年に一度その最も聖なる場所と言われるその部屋に血を持って入って行ったが、キリストがしたように自分自身の血を捧げていたわけではなかった。キリストは天に入っていき、通常の大祭司が何度も入る必要があるものを一度で済ましてくれたのだ。

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聖書 口語訳

大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。

この章を参照



ヘブル人への手紙 9:25
9 相互参照  

アロンは年に一度、人々の罪が赦されるため、いけにえの血を香の祭壇の角に塗り、それをきよめなさい。これは毎年必ず行い、代々続けなければならない。主の最も神聖な香の祭壇だからである。」


この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。


ですから、愛する皆さん。いま私たちは、イエスが血を流されたことによって、神のおられる至聖所に堂々と入って行けるのです。


しかも、ただ一度、血を携えて至聖所に入り、それを「恵みの座」にふりかけました。それはやぎや子牛の血ではなく、ご自分の血でした。キリストは自らそうすることによって、私たちの永遠の救いとなる贖い(身代わりによって罪を赦し、救い出すこと)を成し遂げられたのです。


ましてキリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。キリストご自身のささげられた血は、古い規則に縛られる悩みから私たちを解放し、生ける神にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。それは、一つの罪も欠点もない完全なお方が、聖霊の助けによってご自分を喜んで神にささげ、私たちの罪のために死んでくださったからです。


もしそうであれば、世の初めから、何度も死ななければならなかったでしょう。キリストは、この時代の終わりに、死によって罪の力を永遠に無効とするために、ただ一度おいでになったのです。


ただし、奥の第二の部屋には、大祭司だけが年に一度だけ、一人で入って行きました。そのとき彼は、血を携えて行かなければなりません。その血は、彼と民全体があやまって犯した罪をきよめるための供え物として、「恵みの座」にふりかけられました。