ローマ人への手紙 10:6 - ALIVEバイブル: 新約聖書 しかし、神を信じきって救われることについて聖書にこうある。 「『だれが掟を守りきって天に昇り、救世主を連れて下リてくるか』などと言ってはならない。」 Colloquial Japanese (1955) しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。 リビングバイブル しかし、信仰を通して与えられる救いは、こう教えてくれます。「あなたは、キリストを見つけようと天を捜し回る必要も、助けていただこうと引き降ろす必要もない。」 Japanese: 聖書 口語訳 しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) しかし、これは聖書が信仰を通して神に受け入れられることについて言っている。 「こんなことは、言ってはならない!『誰が天国に上がって行けるのだろうか?』」(これは誰が天に昇り、キリストを連れてこの地上に下りてくるのかという意味) 聖書 口語訳 しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。 |
神はイエス・救世主を遣わし、永遠に過ちを犯し続ける奴隷の道から解放するための犠牲としてくれた。 神は、私たちを解放するための手段として、イエスの血と私たちの神への信頼とを用いた。 だから、それまでの時代に過ちを犯した者たちを罰せられなかったとしても、神は完全に公平であられたわけだ。 イエスが来て神を拒絶する過ちから解放へと導く時を、神は待ち望んでいたからだ。
そういうわけで、全地を信仰の父アブラハムとその子孫に与えるという神の約束は、アブラハムが“神の掟に従ったから”ではなく、“神は必ず約束を果たしてくれる”と信じ抜いたからこそ与えられたことは明らかだ。
神の一人子は、神の微笑みを浴びながら、まばゆいばかりに輝き、その人格と行動すべてにおいて、神であることを示している。 さらには、力あることばによって、宇宙を統べている。 そればかりか、私たちのいっさいの過ちの記録を消し去るべく、死んでくれたのだ。 そして今は、最高の栄誉を受けて、天にいる偉大な神のそばに、座っているのだ。
ノアも、神を信じた人。将来の出来事について、神から警告を受けた時、洪水のきざしなど何1つなかったにもかかわらず、そのことばを信じた。そして、時をむだにせず、すぐに箱舟の建造に取りかかり、家族を洪水から救いだした。 神を信じたノアの姿勢が世の中の人間の愚かさを明らかにした。この信仰のゆえに、ノアは、神に認められたのだ―― 【聖書:創世記9:8-17より引用】