ですから、神様は多くの器官を造られましたが、体は一つなのです。
だから、神は多くの器官を造った。しかし、やはり体は、ただ一つなのだ。
ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
それゆえ、体は1つでも、そこに多くの部分があるのだ。
人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。キリストの体についても同じことが言えます。
確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。
もし単一の器官でできていたら、体はどんなものになっていたでしょう。
目が手に、「私には、あなたなんか必要じゃない」などとは決して言えません。また、頭が足に、「あなたなんかいらない」とも言えません。