身分の高い者も低い者も、 神の目から見ればみな無に等しく、 天秤で計れば、空気より軽いことがわかります。
自分の顧問であったアヒトフェルが、事もあろうにアブシャロムに加担している、という情報を得た時、ダビデは、「主よ。どうか、アヒトフェルがアブシャロムに愚かな助言をするよう導いてください」と祈りました。
こうして、アブシャロムは巧みにイスラエル中の人たちの心をとらえていったのです。
ヒゼキヤ王はこの手紙を受け取って目を通すと、神殿に上り、それを主の前に広げ、こう祈りました。「ケルビム(契約の箱を守る天使の像)の上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが、全世界を支配する神様でいらっしゃいます。あなたは天と地とを創造なさいました。
力ある王にかくまわれるより、 主の保護を受けるほうがよいのです。
私は打ちひしがれ、絶望しています。 どの道を進めば敵のしかけた罠にかからずにすむのか、 あなただけがご存じです。
ひとたびあなたから罪を罰せられれば、 だれでも倒れてしまいます。 人は、虫に食われた衣類のようにもろく、 霧のようにはかないものですから。
残りの生涯は手の幅ほどもありません。 私の一生など、神から見れば ただの一瞬にすぎません。 人は、なんとおごり高ぶることでしょう。 人のいのちは息のようにはかないものです。 しかも、どんなにあくせくしようと、 何一つ残せるわけではありません。 他人に渡すために、富を築くようなものです。
ですから、たとえ全世界が破裂し、 山々が崩れ落ちて海に沈むようなことがあっても、 怖がることはありません。
あなたの強力な守りのおかげで、 私は人々が目をみはるほどの成功を収めたのです。
どんなときでも、神である主に信頼しなさい。 あなたの永遠の力は主のうちにあるからです。
そんなことは絶対にありません。 すべての人間は、主と比べたら無に等しく、 桶の中の一滴の水、 はかり皿の上のちりにすぎないのです。 神は島々を、少しも重さがないもののように、 いとも軽々と持ち上げます。
すべての国々は、神の目から見れば無に等しいのです。
『テケル』は、はかりで量られたという意味で、王が神のはかりで量られ、審査に落ちたということです。
押し寄せた群衆は、イエスを取り囲み、口々に叫びました。 「ダビデ王の子、ばんざーい!」 「主をほめたたえよ!」 「このお方こそ神の人だ!」 「主よ。このお方に祝福を!」
「殺せ、殺せ。十字架につけろ!」「なに? おまえたちの王をか?」「カイザルのほかに王はない!」祭司長たちは、むきになって叫び返します。
絶対にそんなことはありません。たとえ世界中の人がうそつきでも、神は真実な方です。このことについて詩篇には、「神のことばに誤りはない。だれが疑いを差しはさもうと、いつも真実で正しい」と書いてあります。
「いいえ、祭司様。酔ってなどいません。ただ、あまりに悲しいので、私の胸のうちを洗いざらい主に申し上げていたのです。どうか、酔いどれ女だなどとお思いにならないでください。」
ダビデは王の特別補佐官として、いつも任務を成功させたので、とうとう軍の指揮官に任命されました。この人事は、軍部からも民衆からも喜ばれました。
女たちが歌ったのはこんな歌でした。「サウルは千人を打ち、ダビデは一万人を打った。」
「では、ケイラの人々は、サウル王のために私を裏切るでしょうか。」 主は言いました。「そのとおり、彼らは裏切る。」