私を見捨てて、永久に御前から 追放してしまわれることがありませんように。 聖霊を私から取り上げないでください。
この地から追い出され、神様の前からも追い払われて、放浪者にまで落ちぶれるなどとは。私を見たら、だれでも私を殺そうとするでしょう。」
その有様を見て、主は言いました。「わたしの霊が人間のために汚されるのを放っておけない。人間はすっかり悪に染まっている。反省して、正しい道に戻れるように百二十年の猶予を与えよう。(別訳・それで人の齢は百二十年としよう。)」
しかし、先の王のサウルにしたように、愛と恵みを取り去ったりはしない。
それでも、主がイスラエルの民を思いやったので、根絶やしになるようなことはありませんでした。それは主が、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を忘れなかったからです。この契約は今も変わっていません。
主は言われました。「わたしは、イスラエルを退けたようにユダも退ける。わたしが選んだ町エルサレムも、わたしが自分のものだと言った神殿も捨てる。」
主の怒りによって、ついにエルサレムとユダの民は壊滅に至ったのです。その後ゼデキヤ王は、バビロンの王に反逆を企てました。
あなたは、かけがえのない隠れ家なのです。 どうして、私のことなど知らないかのように 突き放されるのですか。 どうして、私が敵に痛めつけられて 嘆かなければならないのですか。
私は年をとり、髪は白くなりましたが、 どうか見捨てないでください。 神のすばらしい奇跡を 次の世代に伝えさせてください。
私は年老いて体力も衰えています。 どうか、お見捨てにならないでください。
しかもおまえたちを、おまえたちの兄弟エフライム人(北のイスラエル王国)のように、捕虜として外国に追い払う。
罪深い人間でさえ、子どもには良い物を与えたいと思うのが人情です。そうだとしたら天の父が、求める者に聖霊を下さらないわけはありません。」
しかし、父がわたしの代わりに助け手(聖霊)を送ってくださる時には、その方があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話しておいたことを、みな思い出させてくださるのです。
しかも、死んでのち復活することにより、神のきよい性質を備えた、力ある神のひとり子であることが証明されたのです。
しかし、あなたがたはそうではありません。もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、新しい性質に支配されているのです。もしその人のうちにキリストの御霊が住んでおられないなら、その人はクリスチャンではありません。
聖霊を悲しませるような生き方をしてはいけません。この聖霊は、罪からの救いが完成する日のために、救いの確かな証印を押してくださる方であることを忘れてはなりません。
彼らは永遠の地獄で刑罰を受け、主の前から追放されて、二度と栄光に輝く主を見ることはありません。
成人したサムソンが、ツォルアとエシュタオルの町との中間点にあるダン族の練兵場を訪れるたびに、主の霊は、彼を奮い立たせ始めたのです。
一行がサムソンを捕らえてレヒに着くと、ペリシテ人は歓声を上げました。主の力がサムソンに注がれたのは、その時です。綱は、まるで糸のようにぷっつりと切れ、手首から解けました。
もう大丈夫と、デリラはまた悲鳴を上げました。「ペリシテ人が捕まえに来たわ! サムソン!」サムソンは目を覚まし、「なあに、いつもの調子で片づけよう。体をひと揺すりすれば、思いのままさ」と考えました。主が自分から去ったことに気づいていなかったのです。
サウルと召使が神の丘に着くと、言われたとおり預言者の一団が近づいて来るのに出会いました。神の霊がサウルに下り、彼も預言を始めました。
一方、主の霊はサウルから離れ、主が代わりに災いの霊を送り込まれたので、彼はいつも気が滅入り、何かにおびえるようになりました。