さあ、私のたましいよ、元気を出せ。 あの日のことを思い出すのだ。 まさか忘れてはいないだろう。 あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、 喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。 どうしてそのように沈み込む必要があるのか。 どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。 神に望みを託すがよい。 そうだ、助けを信じて、 もう一度神をほめたたえよう。
主がわれわれを救い出してくれるとか言っているそうだが、決してだまされてはならない。
第七の月の二十三日に、王は民を家に帰しました。彼らは、主がダビデとソロモン、イスラエルの民に下さった恵みを思い、喜びと感謝にあふれて家路につきました。
「神が目をかけてくださった昔がなつかしい。
感謝の思いも新たに神殿の門をくぐり、 賛美の歌声とともに宮の内庭に入りなさい。 さあ、感謝してほめたたえなさい。
諸国の民に、「彼らの神は死んだのではないか」 などと言わせておいて、よいものでしょうか。
エルサレムの主の宮に行こうと 誘われた時のうれしさは忘れられません。
この都に住む友、兄弟のために願います。
われわれは兄弟同様の仲だったではないか。 祭りの日には連れ立って神の宮へ行き、 道々楽しく語り合った。
同胞よ。いつでも神への信頼を失わず、 心にある願いを洗いざらい申し上げなさい。 神はきっと助けてくださいます。
どうして、外国人が、 「おまえたちの神はどこにいるのだ」と あざけるのを、放っておかれるのですか。 神の民を虐殺したことについて、 公の場で彼らに報復してください。
いつまで私たちを、諸国の笑いものとされるのですか。
しかし神の民は、聖なる祭りの晩のように、 心をこめて喜びの歌を歌います。 巡礼の一団が笛の音に合わせて、 イスラエルの岩である主の山へ 登って行くときのように、心をはずませます。
夜を徹して、神に叫びなさい。 主に向かって両手を上げ、 心を水のように注ぎ出しなさい。 飢えて道にしゃがみ込んでいる子どもたちのために、 ひたすら祈りなさい。
どうして、純金は光沢を失ったのでしょうか。 それを埋め込んだ神殿の壁がくずれ落ち、 道ばたに散らばったからです。
君主も、こうした祭りの期間には、一般の民といっしょに入り、また出るようにすべきである。
神に仕える祭司たちは、民と祭壇の間に立って、 泣きながら祈るがいい。 「神様、あなたの民をお救いください。 あなたに属する者たちなのですから、 異教徒の支配下に置かないでください。 『彼らの神はどこにいるのか。 きっと弱くて、何もできないのだろう』と、 異教徒にあざけられないようにしてください。」
見なさい。うれしい知らせを伝える使者たちが、 山を駆け下りて来る。 「侵入者は一掃され、もう心配はない。」 ユダよ、感謝祭をするとふれ回り、 誓ったとおり、主だけを礼拝せよ。 二度と、ニネベから敵が攻めて来ることはない。 彼らは永久に滅ぼされ、再びその姿を見ることはない。
しかし、アブラハムは答えました。『思い出してみなさい。おまえは生きている間、ほしい物は何でも手に入れ、思うままの生活をした。だがラザロは、全くの無一物だった。それで今は反対に、ラザロは慰められ、おまえは苦しんでいる。
こうして、家族をはじめ家中の者が、主の前で共に喜び合うのです。この祝いには、同じ町に住むレビ人、外国人、未亡人、身寄りのない子も招待しなさい。
満たされてイスラエルを出て行ったのに、すべてをなくして帰って来たのです。主に見捨てられてこんな不幸に陥った私を、どうしてナオミなんて呼ぶのでしょう。」