あなたが真に望んでおられるものは、 いけにえや供え物ではありません。 完全に焼き尽くすいけにえが、 あなたを特別喜ばせるわけではありません。 しかし、生涯を通じてあなたにお仕えしたいという 私の心は、受け入れてくださいました。
神はこのような方法で、 人の耳を開き、知恵と訓戒を授け、
神は、目をみはるような奇跡を何度でも行うからだ。
主よ。 あなたが私をかた時も忘れずにいてくださることは、 ほんとうにたいせつな事実です。 あなたは一日に、数えきれないほど何度も、 私のことを思い起こしてくださいます。 眠っているときも、朝までずっと、 私のことを考えていてくださるのです。
わたしは、祭壇にささげられたいけにえに 不満があるわけではない。 それは欠かさず供えられている。
あなたは罪滅ぼしに何かをせよとはおっしゃいません。 もしそう言われるなら、 喜んで仰せに従うことでしょう。 あなたは、祭壇で焼かれる供え物を 求めておられるわけではありません。
何度、あなたが、危ない目から助けてくださったか、 数えきれないくらいです。 会う人ごとに、あなたの恵み深さと、 日々とぎれることのない思いやりとを告げましょう。
主人は彼を裁判官のもとへ連れて行き、公にこの家に仕え続ける奴隷であることを示すため、彼の耳をきりで刺し通さなければならない。そのあと彼は一生主人に仕えることができる。
「おまえたちのいけにえなど、もううんざりだ。 これ以上わたしのところへ持って来るな。 丸々太った子羊もいらない。 おまえたちの供え物からしたたる血など見たくもない。
主よ、私はあなたをあがめ、御名をたたえます。 あなたは私の神であり、 すばらしいことをする方だからです。 あなたはずっと昔から計画しておられたことを、 そのとおり実現しました。
しかし、自分勝手な道を選び、 罪にふける者はのろわれる。 彼らのささげ物を、わたしは絶対に受け入れない。 たとえ牛を祭壇にささげても、見向きもしない。 子羊や穀物をささげても、 犬や豚の血を供えたときのように、顔をしかめる。 わたしに香をたいているつもりでも、 偶像を拝んでいるのだとみなす。
いけにえはいらない。 わたしを愛してほしいのだ。 ささげ物もいらない。 わたしを知ってほしいのだ。
焼き尽くすいけにえも穀物のささげ物も受けたくない。 和解のいけにえも見たくない。
もしあなたがたが、『わたしは供え物を受けるより、あなたがたにあわれみ深くなってほしい』(ホセア6・6)という聖書のことばをよく理解していたら、罪もない人たちをとがめたりはしなかったはずです。
さらにこう続けました。「聖書に、『わたしが喜ぶのは、いけにえやささげ物ではなく、あなたがたがあわれみ深くなることである』(ホセア6・6)とあります。このほんとうの意味を、もう一度学んできなさい。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」
サムエルは言いました。「主は、いくら焼き尽くすいけにえやその他のいけにえをささげたとしても、あなたが従順でなければ、少しもお喜びにはならない。従順は、いけにえよりはるかに尊いのだ。主は、あなたが雄羊の脂肪をささげるよりも、主の御声に耳を傾けるほうをお喜びになる。