ですから、神のものとなっている人々は喜びなさい。 神に従おうとする人々は、 喜びの声を上げなさい。
ああ主よ、心のまっすぐな 正しい人々を恵んでください。
神を敬う人々の喜びが、 賛美の声となってわき上がりますように。 主をほめたたえるのは良いことです。
しかし、すべて神を信頼する者には、 喜びを与えてください。 神がかばってくださることを知って、 彼らがいつまでも喜びの声を上げますように。 神を愛する人たちを、幸福にひたらせてください。
正しい人は主を信頼して喜び、 賛美のことばを惜しみません。
正しい者たちは、躍り上がって喜びますように。 歓喜にあふれますように。
神は私の盾。 私を守ってくださるお方です。 神は、真実で正しい人を救われます。
主は全世界の王です。 大地よ、喜んで跳びはねなさい。 最果ての島々も喜びなさい。
神を敬う者がみな幸せになり、 きよい神に冠をささげますように。
だからこそ、大地は大声を上げてほめたたえ、 感きわまって歌うのです。
だから、どんなに高い山が立ちはだかってもゼルバベルには何でもない。そして彼は、神のあわれみに大声で感謝しながらこの神殿を建て上げ、すべてが恵みによってのみ行われたと言うようになる。」
私たちは、神との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、すなわち、私たちを神の友としてくださったことのおかげなのです。
主の前で、子どもたちや使用人たちとともに祝いなさい。祝いには、同じ町に住む領地を持たないレビ人も忘れずに招きなさい。
愛する皆さん。どんなことが起ころうと、主にあって喜びなさい。このように何度も言いますが、それを私はめんどうとは思いませんし、あなたがたも聞かされたほうがいいのです。
肉体の一部を切り取りさえすれば、神の子どもになれるのではありません。霊をもって神を礼拝する者こそ、神の子どもなのです。その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。クリスチャンが誇れることと言ったら、キリスト・イエスがなしてくださったみわざだけです。自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
ハンナは祈りました。 「ああ、うれしゅうございます、主よ。 こんなにも祝福していただいて。 私は敵にはっきり答えることができます。 主が悩みを取り去ってくださいましたから。 私は喜びでいっぱいです。