神は、次々と 戦いに勝利をもたらしてくださいました。 諸国の民は私のもとに来て、仕えるようになりました。 私がそれまで知らなかった国民までが、 やって来てひれ伏すのです。 私に会ったこともない外国人が、 いとも簡単に服従します。 彼らは震えながら、とりでから出て来るのです。
一方、イスラエルのそこかしこで、議論がふっとうしていました。「どうして、ダビデ王にお帰りいただく話をしないのか。ダビデ王は、われわれを宿敵ペリシテ人から救い出してくださったお方だ。せっかく王として立てたアブシャロム様は、ダビデ王を追って野に出たが、あえなく戦死なさった。さあ、拝み倒してでもダビデ王に帰っていただき、もう一度、王位についていただこうではないか。」どこでも、こんな話でもちきりでした。
これが、サウル家とダビデ家との長い戦いの始まりでした。ダビデがますます権力を増していくのに反して、サウル王家は衰えていきました。
しかし、モアブとエドムはさげすまされる。 わたしはペリシテ人に向かって、勝ちどきを上げよう。」
「あなたはイスラエルをわたしに立ち返らせる にとどまらず、国々の光となって、 諸国にまでわたしの救いをもたらす。」
あなたもまた国々に命令するだけで、 彼らは走って来て仕える。 それは、あなたの力や功績によるのではない。 あなたの神であるこのわたしが、 あなたを輝かせた結果である。
それでも、イスラエルが栄え、大きな民となる時がくる。その日には、彼らは海辺の砂のように数えきれないほどの数となる。その時わたしは彼らに、『あなたたちはわたしの民ではない』と言わずに、『あなたたちはわたしの息子、生ける神の子どもだ』と言おう。
神様は大きな力でこの方を引き上げ、神の御子、また救い主となさったのです。それもみな、罪を悔い改め、赦していただく機会を、イスラエルの人々に与えるためでした。
また、預言者イザヤはこう言っています。 「エッサイの家系に一人の世継ぎが生まれる。 その方は外国人を治める王となる。 彼らは、ただこの方だけに望みをかける。」(イザヤ11・10)
私は、ただ外国人を神に導くために、キリストが私を役立ててくださったということだけを話します。他のことについて、何も言うつもりはありません。私は、ことばと活動、
そして神は、すべてをキリストの足の下に従わせ、キリストを教会の最高のかしらとされました。
あなたがたは、以前は全く無きに等しい者でしたが、今は神のものとされています。以前は神のいつくしみから遠い者でしたが、今では神のいつくしみによって変えられました。
第七の天使がラッパを吹き鳴らすと、天から大きな声が響きました。「世界はすべて、主とキリストの手に渡った。主は永遠に支配者である。」