貧しい者や謙遜な者が悪者に虐待されるとき、 神は避け所となってくださいます。
そこで、私は主に祈りました。 「主よ。あなたは唯一の隠れ家です。 あなただけが、無事に守ってくださるお方なのです。
神が私をお助けになるはずはないと、 だれもが口をそろえて言います。
主は問われます。 「人の子らよ、こんな空しい偶像を拝んで、 いつまでわたしの栄光をはずかしめるのか。 偶像が神であるはずなどないのに。」
私は貧しくて、困っています。 しかし主は、こんな時こそ 私を心にかけてくださっているのです。 ああ、救い主であられる神よ、 直ちに駆けつけて、救ってください。
人のあざけりがこの身を突き刺し、 深い傷を負わせます。 彼らは、「おまえの神はいったいどこへ行った」と あざ笑います。
神は私たちの隠れ家、また力、 苦難にあえぐときの確かな助けです。
虐待された人々はみな、主のもとに来ます。 主は苦しむ人々の隠れ家です。
おまえは、『イスラエルもユダも、われわれのものだ。占領してしまおう。神がいようがかまうものか』と言った。」
もう一度チャンスを与えよう。奏楽が始まったら、ひれ伏して像を拝めばよし、さもなければ、直ちに火の燃える炉に投げ込むぞ。どのような神が、私の手からおまえたちを救い出せるというのか。」
神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。